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一等星に輝いた双子の息子アドマイヤベガ 〜名馬たちの記憶3〜

トニービン産駒として、1993年の桜花賞、オークスと制し4歳(現3歳)牝馬クラシック戦線を大いに賑わした牝馬二冠馬のベガ。

その初仔となるのが、
のちに第66代ダービー馬 アドマイヤベガである。
今回は、その孝行息子である彼の記憶を辿ってみたい。


現役生活を終え、生産者の大きな期待を受けて繁殖入りした名牝ベガ。
初交配相手はサンデーサイレンス。
受胎も確認され、春先の良血馬誕生に誰もが待ち侘びただろう。

しかし、
受胎した仔は双子だった。

競走馬の場合、双子は虚弱体質になる可能性が高いため、まず2頭とも走れないと言われている。
そのため、1つの胎仔を潰して(人工流産させること)1つを残す方法を取る。
生産者は苦渋の決断だったに違いない。

そして、
残った1つの賜物こそ、のちのアドマイヤベガである。

だが、双子という呪縛なのか、無事に誕生したも生まれた時から彼は、左前脚が内側に曲がっていた。
実は母ベガも生まれた時、同じように脚が内側に曲がっていた。

しかし、
良血馬ゆえ、生まれ付きハンデを物ともせず、すくすくと成長を見せた。


月日は流れ、3歳(現2歳)秋にデビュー戦を迎える。
ベガの初仔
超良血
武豊が騎乗
これを見れば、全てが話題になるのも当然だろう。
レースも堂々と1番人気。

ゴール前を1番で駆け抜け、期待に応える走りを魅せたかに見えた。
ところが、
1着で入線するも斜行(他馬の進路妨害)との制裁を受ける。
結果的に降着(4着)となり、ホロ苦いデビュー戦となった。

その走りを見た陣営は、新馬戦で降着になったものの未勝利戦は問題ないと判断したのだろう。
次走は、未勝利馬として異例のエリカ賞(1勝クラス)に出走。
後方から差す競馬にて、待望の初勝利を収める。

その後、
ラジオたんぱ杯3歳ステークスG3に出走。ここでも1番人気に応えて勝利。
翌年のクラシック候補に名乗り出た。

そして、
年明け初戦となった皐月賞トライアル報知杯弥生賞G2では、のちにライバルとして彼に立ちはだかるナリタトップロードに敗れてしまう。

また、皐月賞直前には、体調を崩してしまった影響でレース当日は、マイナス12キロで出走。
本調子でなかったためか、結果は6着と惨敗。
このとき勝った馬は、のちにG1を7勝したテイエムオペラオーだった。

走破する顔が凛々しい🐴画像jra-vanより🐴


皐月賞までの5戦全てを1番人気だった彼だが、日本ダービーでは、馬体重がプラス10キロと体調が回復するも初の2番人気。
なお、皐月賞馬テイエムオペラオーが3番人気、皐月賞で3着だった永遠のライバル、ナリタトップロードが1番人気となった。

さて、迎えた日本ダービーだが、
鞍上はデビュー戦から乗り続ける武豊騎手。
その武豊騎手は、前年にスペシャルウィークで日本ダービーを初制覇しており、アドマイヤベガには武豊騎手連覇の期待もかかった。

レースは、歴史に残るナリタトップロードとの一騎打ちとなる。

ゴール前の実況
『ナリタトップロードか、アドマイヤベガか、ナリタトップロード、アドマイヤベガ、アドマイヤー!母のベガが二冠を達成して6年、その息子が輝く一等星に!』

3強のダービーは後世に語り継がれるレースとなった。🐎画像sanspo.comより🐎


ゴール前まで熾烈な争いを演じたライバル、ナリタトップロードとは、生涯において5回対戦した。
しかし、
対戦成績は2勝3敗と軍配はライバルに上がっている。


晴れて、母仔2代クラシック制覇を成し遂げたアドマイヤベガは秋の菊花賞に向け、夏を休養後、万全を期し京都新聞杯に出走。
人気はライバルに譲るもレースでは譲ることなく、堂々の勝利。
これでクラシック最後の1冠に向け、最高の形となった。

しかし、
思い通りにならないのも競馬の浪漫である。
菊花賞では、1番人気に返り咲くも6着と惨敗。
3000mという長丁場は、距離が長かったのか、脚の負担が大きかったのかは定かではない。

結果的には、永遠のライバル ナリタトップロードに菊花賞を譲る形となった。

菊花賞を終え、年内は休養。
次走を翌年の宝塚記念に目標を定めた。
ところが、左前脚の繋靭帯炎を発症すると早々に現役引退を発表。

おそらく曲がっていた脚に負担がかかり過ぎていたのだろう。

こうして、
名牝ベガの一等星は、ライバルたちに先んじて瞬く間にターフを去ったのだった。


日本ダービー馬として、またサンデーサイレンスの後継種牡馬として、堂々と種牡馬入りを果たしたアドマイヤベガ。
種牡馬生活では、桜花賞馬キストゥヘヴンを輩出するなど、偉大な父サンデーサイレンスの後継者として、幸先の良い順風満帆な生活を送っていた。

そして、
種牡馬生活4年目。
種付も終えた、その年の秋から冬に入る時期、偶発性胃破裂で突然この世を去る。
若干8歳という若さだった。

名牝ベガに日本ダービーの称号をプレゼントした長男アドマイヤベガだが、その弟たちも優秀であった。
中央、地方と芝ダート合わせてG1を7勝したアドマイヤドン(父ティンバーカントリー)
G1勝ちはないが、重賞戦線で活躍した全弟のアドマイヤボス。

しかし、
名牝ベガの仔と言えば、やはり日本ダービー馬となったアドマイヤベガだろう。
輝く一等星は、今もなお、母の横で光輝きながら、僅かな自身の血を繋ぐ仔馬たちを夜空から見守っているだろう。

アドマイヤベガ
父サンデーサイレンス
母ベガ
母の父トニービン
8戦4勝
主な勝鞍 日本ダービー


今回で3回目となった
『名馬たちの記憶』シリーズ。
如何でしたでしょうか。

合わせて、私の刊行物『記憶に残る名馬たち』シリーズも読んで頂ければ、幸いです。
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