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「お前はクラフトマンだ」〜僕を鼓舞するモッツァレラ〜

自分よりもおいしいモッツァレラを作っているチーズ職人の方は、たくさんいる。テクノロジーに溢れた未来も僕にはとても魅力的なのだ。それでも僕は、「クラフトマンだ」と胸を張れるのだろうか?。

そんな自問自答をしながら、毎朝モッツァレラを練っている。

「やっぱりチーズ職人なんだよ、藤川さんは」と誰かに言われても、まだまだ、と思ってしまう。本場のイタリアできちんとモッツァレラの修業をしてこなかった。どこか、コンプレックスのようなものがずっとつきまとっているのも、否定はできない。

出来たてのモッツァレラとの衝撃の出会い

なぜモッツァレラなんですか?

店がオープンして7年が過ぎた今でも、この質問をされる。モッツァレラの出会いは、大阪の大学時代にさかのぼる。

大学時代の僕は、「世界を見てみよう」と大学を1年休学して、バックパッカーの旅に出ていた。イタリアにたどり着き、いくつかの州をまわったのち、イタリア南部の都市ナポリに辿りついた。そして街の老舗ピッツェリア「カパッソCAPASSO」で働いていた。ある店の休業日に、チーズ工房に友人と訪ね、そこで初めて「出来たて」のモッツァレラを食べた。

それはもう衝撃的だった。

カパッソでは、もちろん新鮮なモッツァレラを使っていたし、その味も知っていた。しかし、出来たては人肌のように温かくて、繊維がしっかりしている。噛んでなかから出てくるミルクも温かい。自分にとって、まったく初めての食感だった。

「モッツァレラも作ってみたい」と思いながらも、イタリアに滞在していた3カ月、熟成チーズ工房でチーズ作りを教えてもらうことはあったが、最後までモッツァレラ作りを学ぶことはなかった。当然、このときはまだ自分がチーズ職人になるなんて思ってもいなかった。

モッツァレラのおいしさは食感で決まる

30歳を目の前に、CHEESE STANDをオープンさせた。そのときから、いつだって看板商品はモッツァレラだ。

モッツァレラのおいしさは、食感が大きな役割を占めていると思っている。噛んだ時のやわらかさは、pH値のコントロールも必要だが、なにより、細い繊維を作り、練り湯を適量含ませることもできる「練り」がその食感の多くを左右する。

ちなみのここでいう食感には、口内で感じる温度も含まれていて、CHEESE STANDでは常温を推奨している。その方が、ミルクの香りが立つし、食感もよくなる。他の食材の温度とのコントラストもつけやすい。

そのため、これは僕個人の考えだが、熟成チーズの味わいは牛乳にかなり左右されるが、モッツァレラは、もちろん牛乳の質も大事だが、「練る技術」がおいしさの差になってくると考えている。

だから、CHEESE STANDで働いてくれている職人希望のスタッフとは、最初の段階で自分の出来上がりのイメージを共有できるように練り作業の部分で、何度もコミュニケーションをとっている。

テクノロジーに代替できない「練り」

僕たちがやる前から、大手メーカーさんでもモッツァレラを作っていて、スーパーでは気軽に買えるようになってきている。多様な食材によって食卓に「食べる楽しみ」が広がることにつながるとても素晴らしいことだと思っている。

CHEESE STANDでも将来的には、店舗をもう少し増やすなかで、テクノロジーを導入して製造数を上げていくことができれば、と考えている。たとえばpH値の管理は、きっと機械の方が得意だろうし、カッティングや成型も機械化した方が効率はよさそうだ。

だけども、「練る」だけは、自分たちでやっていきたいと思っている。

練り作業は、牛乳そのものや、製造途中に調整する温度やpH、水分など、6時間近く試行錯誤しながら調整したものの集合体「カード」を練るという作業だ。その日によって「カード」が異なるので、練り方も微調整して変えなければいけない。

カード自体の量や、お湯の温度は毎日変えずにいられるものは一定にし、お湯の量などは微妙に調整し、練り方もその日にごとに変えていく。そのためチーズの練り方だけは、数値だけでは管理できないはずだ。

僕はクラフトマンなのか

CRAFTSMAN 2.0を宣言して以降、CRAFTSMANってなんだろう、と考えて続けてきた。

職人は高い技術を持っているのが大前提だと思っていて、モッツァレラを作ることで考えれば、それは練る時に、わずかな差を感じて、それに対応できるかということなのかなと思っている。そこは、今のところテクノロジーには代替できない(と僕は思う)。

だから、「クラフトのモッツァレラ」を定義するとすれば、それは「練り」を職人がしているかどうかなのではないかと、と僕は考えている。

そしてもう一つ、自分自身のことで気づいたのは、「良いプロダクトを作りたい」と思い続けることは、ひるがえって、自分を律することになるということだ。

僕は、「自分がおいしいと思っている商品を、たくさんの人に届けたい」と常に思っている。それは、「世界中の人がおいしいもの」ではない。ほんの小さなまわりの人たちだけでもいい。尖っているといえば、そうかもしれない。でも、その部分がメーカーさんとの違いなのだろうと思ってもいる。

それに、毎日練りを変えているのだから、極論をいえば、CHEESE STANDのモッツァレラは、その日によって微妙に違う。もしメーカーさんだったら、クレームが来てもおかしくない。

だけど、僕らの作るモッツアレラは、毎日ぜったいにおいしい。お客さまも信頼して買ってくださっている。

だからCHEESE STANDのファンになってくださった方は、自分の感性に共感をしてくださった人なのだ、と考えるようにしている。

そんなファンの方を考えると、僕が目指しているおいしさをもっと磨いていかないければいけない、という気持ちにさせていただいている。さらに、「今日のはおいしかったね」とか「今日のはもう少し」みたいな、正直な感想をいただけると、とてもうれしい。翌朝のチーズ作りの検討材料になるからだ。

そういう意味では、僕がクラフトマンかどうかは、お客さまや周りの人が決めることなのかもしれない。自分は、自分のおいしさを目指して作っていくしかない。

そんなことを考えながら、僕はまた朝を迎えモッツァレラを練る。そして「自分はクラフトマンなのだろうか」と、再び自問する。

「お前はクラフトマンだ」

そうモッツァレラに励まされたような気がした。

(聞き手・構成/江六前一郎)


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