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富山 2007 夏 -(ほぼ)はじめての富山-


初めて富山(市)を訪れた記憶

今年(2024年)4月に、私が2023年から富山に興味を持つようになった話を書いた。
そもそも私が初めて富山を訪問した時期がいつだったか。その記憶を思い出そうとして、思い出せなかった。

私が過去の訪問地の記憶を辿る時に頼りにしているツールはGoogle Mapのロケーション履歴とGoogle Photo, Amazon Photoの位置情報(写真データに残されたEXIFのジオタグも含めて保存してくれる)だ。今回も、過去自分が富山を訪問した記録をGoogle Photoで遡ってみた。

すると、辿り着いた写真は2007年9月16日のもの。

思い出した。
私が2007年にMr.Childrenのライブツアー(HOME Tour 2007, HOME Tour 2007 –in the field)にたくさん参加していた時期、初めてライブで立ち寄った場所の一つが富山だった。
私が初めて富山(市)を訪問した記憶は、2007年9月16日だった。
ちなみに私の「富山”県”の初訪問」についてはさらに2年前の2005年の夏だったようだ。

2007年当時流行っていたSNSは”mixi”で、私は「マイミク」向けに「mixi日記」を積極的に残していた。今はもう開く機会が激減したmixiを久々に開いたところ、2007年9月16日の富山訪問記が奇跡的に残っていた。
当時の私は30代なのだが、改めてmixi日記を読むと、とても多くの人の目に晒せられる程のものではない、自己満足・自己陶酔?の塊のような文章で相当恥ずかしい気持ちになる。

ただ、文体の酷さは横に置いておいて、事実の記録としてみるととても興味深い。

魚津の思い出

当時のmixi日記から私の当時の軌跡を辿ってみる。
まず、前日の2007年9月15日は新宿から高速バスに乗車していた。
当時はまだ「バスタ新宿」はなく、新宿西口のヨドバシカメラのある付近の高速バスターミナルから高速バスがひっきりなしに出発・到着していた。かの有名な"King of 深夜バス"の「はかた号」も、この新宿西口バスターミナルの発着だった。

新宿西口からは富山駅前まで夜行高速バスに乗車した。
富山に到着後、私は「富山から電車で30分の港町」(mixi日記より引用)の魚津を訪問している。引き続き、mixi日記からの引用。

二年前の夏、墓参後に家族で黒部に遊びに行く前に一度来たことがあり、今回で二度目の訪問です。市場で、早朝から海の幸がいただけるらしいので、駅前からタクシーを拾って「海の駅」へ。

私のmixi日記より

この記述から、私は2005年に魚津を訪問していることがわかる。
これが、私が記憶する最も古い富山”県”の訪問のようだ。

開店前の「海の駅蜃気楼」2007.9.16

2007年の魚津訪問は、mixi日記の引用にある通り、「海の駅」(海の駅 蜃気楼)で朝食をとることを目指していた。
実際には、オープン前の時間に到着してしまい、海の駅での朝食は叶わなかった。

魚津の海岸 2007.9.16

私が海岸で途方に暮れていたところ、ご親切にも通りがかった地元の方に声をかけていただいた。そして、その地元の方のご好意で、海の駅から魚津駅までその方の軽トラで送っていただいた。

おじさんは70歳を過ぎられて、仕事は引退されたけど「今は街の世話いろいろをしていてねぇ」とのこと。
毎朝、海に散歩にいらしていて、今日もその帰りなのだとか。
車で5分の道のりを、土地の話をしながら駅まで戻ってきました。

私のmixi日記より

2024年の今では、2007年と同じことはきっとできないかもしれない。
ただ、17年後の今でも、この記憶は鮮明に蘇ってくる。
私の中で、富山の旅の記憶の中で古く、かつ好印象を持った良い思い出だ。

この他の「はじめての富山」

2007年当時の魚津以外の訪問地およびハイライトは

  • 富山ライトレールに乗って岩瀬浜

  • 総曲輪で富山湾鮨

  • Mr.Childrenのライブ(HOME Tour 2007 -in the field)@ 富山県総合運動公園と、その往復の交通

それぞれが思い起こすと良い思い出ばかりで、書き始めると筆が急速に進みそうなため、ここで一旦筆を擱く。

改めて振り返ると、私が富山に対して抱いた印象は、最初から良いものばかりだったことがわかった。
引き続き、「わたしと富山」の思い出話、思うところについて稿を改めて綴っていきたい。

2007.9.16の魚津駅
2024.7.6の魚津駅

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