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父の日、そしてmid90s

ここ数日の出来事だ。
相変わらず目まぐるしく進む日常と世の中。
自分はと言うと、そこに巻き込まれたくは無いとばかりに、マイペースを精一杯気取って毎日を過ごす訳だけど、意に反して物事は自分に向かって轟音を立てながら押し迫って来る。
2022年の今、全ては待ったなしだ。
仕事からプライベートの事まで、立ち向かわなければいけない事、やらなければいけない事は山積だ。

とは言え、そこに楽しさや面白さみたいなものもシームレスにくっついていて、今は決して行き止まりになったり絶望したりはしない。
20代はそう言うシームレスな部分に随分苛立ったし、30代はそう言った状況によく狼狽していたかも知れないが。

さて、今回のタイトルにあるmid90sは映画のタイトルなのだが、それは同時に自分の青春時代を指す。
文脈で言えばまさに自分の10代の記憶。(アメリカに住んでいた訳ではないが)
この映画の中に出てくるようなスケートカルチャーやファッション、そしてロックにヒップホップなどを聴き、仲間と理由もなく街を練り歩き、夜を彷徨いたりしていた。

そんな90年代半ば、音楽的趣向において周りは主にヒップホップ派とハードコア、パンク派という派閥だったけど、自分はそのどちらも聴いた。その中でもひときわ目立ってカッコよかったのが、アメリカのパンクバンドNOFXだった。当時は雑食に、貪欲に色んなジャンルの音楽を聴いていた自分の耳に突き刺さって来た。
Kids of the K-Holeという曲を聴いて欲しい。
スケートカルチャーを少しでも経験した人はきっと今でも胸が熱くなる筈。
まず耳を引くのはその圧倒的なスピード感。
そしてスケーターカルチャーに根ざした何処か社会の異端児的な存在感。それに加え、彼らの出すビデオでは決まって馬鹿な悪戯などが満載だった。その辺の雰囲気は映画mid90sの中でも少し味わえる。
ギターに関してはメタル音楽を消化したギタリスト、エルヘフェのリフに本当にセンスを感じた。加えて彼はなんとトランペットまで演奏する。
もちろん優れたバンドは彼らだけでは無い。mid90sは優れたアーティストの巣窟だと個人的には思っている。そこについてはまた書こうと思う。

2022-6-19。父の日。この日は例年のように外に向かってではなく、内面へ父を求めてみた。
その、内面にいる父に、なぜか会いたかった。
それは、ギタリストとして名を馳せた父でもなく、自分が目標としている父でもない。
あの、ふと何気なく冗談を言って、周りを笑顔にさせる父。そして時に突然荒れ狂う海の如く怒る父。
彼の遺した音楽を聴きながら静かにそんな存在を感じる。


2022-6-20。昨日の自分の内面を感じながら、
ふとずっと観たかった映画、mid90sを観る。
昨日思い出した、父が生きていた日々の記憶。
その時の感情がそこに蘇って来た。
この映画を通じて、父の日に父を思い出す
ではなくて、父と一緒にいた日々の自分を
思い出す事が出来た。
これは長い間ずっと忘れていた感情だった。
いつしか自分は社会の中で真っ当に進んで行くために重い鎧を着込んでしまった部分もあると思う。
そんな自分のルーツを、この映画は思い出させてくれた。あの時のどうしようもないささくれ立った
心はもうどこかに行ってしまったけど、ときにそれを見つけ出す事が出来ることを知った。

あの時の夢中になったNOFXの音楽を、もう一度聴いてみようと思う。あの頃とは随分違ってしまったかもしれないが、同じような滑稽な姿の自分がふと顔を出すかもしれない。
その時は、普段絶対に現れないであろうそんな自分の顔を、しっかりと記憶に刻もうと思う。
そして自らのmid90sの思い出はこれからもまた色々書きたいと思う。

それじゃあ、良い夜を。

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