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文章を書く上で気を付けていること

いったん一区切り 

世間は感染者数が一時に比べすごく減りワクチン接種も進んでいるのですっかりコロナ禍が終わった気になっているようだけれど、周囲ではまだまだ陽性が出るのでこっち側としてはなかなか気が抜けない。むしろ気軽に受診する人が多くなってきたのでいちいち対策をとらなければならず手間と時間がかかる割には空振りが多くなった。とはいえ一時のような次々と感染者が訪れる状況ではなくなったので、すこしだけこちら側もそろそろ出かけてもいいかな…という気にもなってきたところ。このNoteは当初秋季セミナーのプレゼンづくりについてのあれこれを記録していくための覚書的な位置づけだったのだけれど、セミナーも終わったこともあったのでいったん一区切りをつけようと思う。皆様おつきあいいただきありがとうございました。

そして次のステップへ

 とはいえ、編集がすんでいないインタビュー全編の作成記録だったり、その他の自分の仕事や日々の活動に関する作業のあれやこれやを書いていくのにもなんとなく意味があるような気もするので、引き続きときどきここで駄文を書くのは続けようと思う。もともとホームページでのブログや日記、SNSについて、これまで自分はあんまりうまくお付き合いができなかったこともあるのでどこまで続くかは疑問符が付くが、Noteは僕のペースに会うのか、ここまで続いたネット活動(っていうのか?)は初めてなのでまあ成り行きにまかせたいと思う。そんなに見る人いないみたいだし。とりあえず、次の目標は今作っている本二冊と、論文いくつか、それと日々の活動である。いろんな意味で曲がり角に来ているのは間違いないと思う。

ここで確認したいこと

 まあいろいろ執筆を含めいろいろこれまでやってきたけれど、とにかく気を付けてきたのは読んだ人ができるだけ不快に思わないようにすること。自分も人の書いたものを読むことがあるが、いくら痛快に思えても、やっぱり人の悪口は読んでいて気分がよくない。最近読みなおした昔の村上春樹のエッセイの中に、次のような一文があったのでここに引用したい。

「何かを非難すること、厳しく批評すること自体が間違っていると言っているわけではない。すべてのテキストはあらゆる批評に開かれているものだし、また開かれていなくてはならない。ただ僕がここで言いたいのは、何かに対するネガティブな方向kの啓蒙は、場合によってはいろんな物事を、ときとして自分自身をも、取り返しがつかないくらい損なってしまうということだ。そこにはより大きく温かいポジティブな「代償」のようなものが用意されていなくてはならないはずだ。そのような裏打ちのないネガティブな連続的言動は即効性のある注射漬けと同じで、一度進み始めるとあとに戻れなくなってしまうという事実も肝に銘じておかなくてはならないだろう。」(テネシー・ウィリアムスはいかにして見捨てられたか。村上朝日堂はいかにして鍛えられたか 収載)

 本当にコロナ禍になって、いろんな人がいろんな意見の応酬をした。SNSでは特にその傾向がひどいのだが、強い言葉や主張の中には相手を貶めるような言葉が含まれ、それはあきらかに僕らの魂の一部を損なっていった。その中には僕がこれまで尊敬してきた人たちのさまざまな主張も含まれていた。まあ、ほんとに特殊な状態であったし、みなギリギリの状態だったから、ということもあるのだろうけれど、やっぱりそれを差し引いても、おそらくもはや以前のような形でそのような人たちとは接することはできないだろう。だから、というのもおかしいが、ここで改めて自分はそのような態度にはくみしない、ということを肝に銘じたいと思う。まあ、もともとキャラじゃないし。ということで、これからも、あまり役に立たないかもしれないけれど、僕の仕事の進み方の備忘録としてここにいろいろ記録していきたいと思う。

ということでThe JamのStartで。

だれですかTaxmanだって言ってる人は…

(という事でまだまだ続くー)



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