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やるな、やられとけ

 貧乏というのはどういうことだろうかと考えた。振り返るとうちは決して貧乏ではなかったように思う。靴はちゃんと自分の分が一足あったし、成長して大きくなった身体にサイズが合わなくなった制服は買い直してくれた。食事は毎日三食あった。生きてゆくのに十分な経済力がうちにはあった。それは地球に空気があって、でもいちいち空気のありがたみなど感じながら生きている訳じゃないように、当たり前に着る服があって、当たり前に一日三食あった。それなのに僕は自分が貧乏だと疑わなかったのは、自分が満足するようなお小遣いをもらうことが出来なかったからだと思う。
 子どもの頃のたまり場と言えば駄菓子屋だった。子供たちの社交場。お金を持っていないのに僕はそこへ通っていた。僕が行っていた駄菓子屋は、藤井商店という名で、略して「フジショウ」とみんな呼んでいた。フジショウは駄菓子屋なのに冬になるとおでんを売っていた。僕は一度だけそのおでんを食べたことがある。ジャガイモだった。あの時食べたおでんのジャガイモよりも美味しいジャガイモを未だに食べたことがない。紙の皿にうっすら汁が浸っていて、そこに大きなジャガイモがまるまる一個乗っかっていた。フジショウのおばさんは僕に長い串を渡してくれた。僕は長い串でジャガイモを割って食べたのだった。値段はとても安かったと思う。三〇円くらいだったような気がする。
 僕は全くお小遣いをもらっていなかった訳ではなく、時々百円くらいはもらっていた。食べ物は当然のことながら食べてしまうとなくなってしまう。食べてなくなってしまうものにお金を使いたくなかった。でもフジショウに来る同じ学校へ通っている者たちは平気でミニ・カップラーメンやスルメ、小さなヨーグルトのようなお菓子、ビックリマンなんかを買って食べていた。僕はそれを見て羨ましいと思っていた。彼らはそんな駄菓子類を何個も何個も買っては食べていた。みんな金持ちなんだなぁと思っていた。彼らは駄菓子を買っては食べをしながらも、銀河鉄道999の合金やサンダーバード2号のモデルを所有していたからだ。僕はミニ・カップラーメンを食べている友達に「汁だけ飲ませて」と貧乏くさい要求をしていた。「おごってくれ」と頼むこともあった。君たち金持ちじゃないか、百円くらい恵んでくれ! と心の中で叫び声をあげていた。こんなことは貧乏、乞食がすることだった。と思う。
 大人になってサラリーマンになった。そこそこ大きな企業に就職した。会社は大きな事務所があり、工場もあった。自社で設計したものを自社で製造して品物を売っている。綺麗で空調が効いたオフィスで働いている。
 僕はある時、ARBの歌を聴いた。労働者のうただった。汗水垂らして働いて、という歌なのだった。僕は地上でしか暮らせなかった。だけど心はアンダーグラウンドな世界に惹かれていた。破れたシャツやジーンズ、薬物やセックス、暗闇に憧れた。なのに自分はやはり地上でしか生きることが出来なかった。悪環境に放り出されると耐えられなかった。便利になっていく世界が全てだった。ブルートゥースの接続が悪いだけでイライラしていた。起動が遅いコンピュータやスマートフォンにイライラしていた。ブルートゥースもスマートフォンも使えない訳じゃないのに、快適さを求めすぎて、ほんの数秒の動作が鈍いだけでイライラしていたのだ。
 そのようにイライラしていたのは僕だけではないようだった。ネット通販においての、商品の評価を見ていると、僕よりも酷い評価やイライラを熱心に書き込んでいる人が多くいた。みんな、地上に生きていると思った。自己紹介もせずに他人が作った品物を思いっきり馬鹿にしている。戦っていないやつが戦っているやつを馬鹿にしている。選挙権がなくても人殺しが出来て、人殺しをしなければならない世界に生きている人がいる。

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