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魔法使い

 俺には魔法が使える能力があるらしい。それを告げられたのは商店街に突き刺さる横道に入っていったところにあるゴミ捨て場だった。商店街の店店から出るゴミはその場所に集められる仕組みになっていた。ゴミはビニル袋に入れられているので強烈な悪臭などはないがそれなりに不思議な臭いが漂っていた。俺は商店街の中にあるスナックで飲んで歌って酔って帰途についているところだった。俺はゴミが集められている脇の道を歩いていた。すると突然「ちょっと待てーい。」と言う声が聞こえた。まさか俺が呼ばれているとは思わなかったので歩みを止めずに道を突き進んだ。すると再び「待てーい!」と聞こえた。もしかして俺を呼んでいるのかと思って周囲を見回した。汚らしい格好をしたおじさんと目が合ってお互いに身体が固まったようになり数秒見つめあう形になった。が、お互いに何も言わないままだったので俺は無言のまま再び歩き出した。するとまた「ちょっと待てーい!」と聞こえた。俺は完全無視した。酔っていたせいか怖くはなかった。そして歩き進めた。どうやらおじさんは俺の後を付けてきているようだ。俺とは別の足音が聞こえる。
「ちょちょちょとちょっと待ってや。」俺は無視を続ける。「待てーい。あ、いや、ちょっと待って。話を聞いてや。すんまへん。頼むわ。」と、かなり低姿勢な発言をし始めた。可愛そうに思えてきたので俺は振り向いておじさんと目を合わせた。するとおじさんは歩みを止め身体を硬直させて動かない。『坊さんが屁をこいた』の遊びをしているようだ。何なんだ。おっさん緊張しているのか。見つめ合ったまま数秒が経った。しかたなく俺はまた歩みを進めた。
「ちょっと待って。」おじさんはしつこかった。
「何です?」と俺は振り向きざま初めて声に出して発言した。おじさんは緊張したように背筋を伸ばして気を改めなおしたかのように真顔になった。
「あ、はい。話を聞いてくれるんですね。ありがとうございます。」
「早よして欲しいんですけど。」
「あ、それでは。」んんっとおじさんは喉を整えて「お前には、」と突然上から物を言うような言い方をしだした。これは怪しいやつだ。こんなやつの話を聞いては駄目だと直感した。俺は再び帰途する方向へ身体の向きを変えた。そして歩みを進めた。要するにおじさんのことを無視した。
「ああーん。ちょっと聞いてよ。話。なぁ、頼むわ。」
「何なんですか。見ず知らずの僕に何の話があるっちゅうんですか。しつこいですよ。」俺は後悔していた。最初っから無視を決め込んでいれば良かったのだ。変なやつに捕まったかも知れない。走って逃げるか。でも酔っぱらってるから走るとコケる。間違いなくコケる。しかたがないのでそのままおじさんを無視して歩き続けるとしよう。
「ごめん。ホンマごめん。歩きながらでもいいから聞いてね。僕はね、あなたとは見ず知らずの間柄ではあるけども、実はねあなたの秘密を知ってるの。それがね、何かというのをね、あなたに言おうとしてたのよ。」おじさんはおかしなことを言い出した。俺の秘密?ちょっと気になるが、何で見ず知らずのおじさんが俺の何を知っているというのだ。
 おじさんは突然高く跳んだ。というつもりだったのだろう。実際は地面から足が三センチほどしか浮いていない跳びだった。そして俺の前に立ちはだかった。こうなるとさすがに俺は歩みを止めざるを得なかった。道が塞がれたのだ。そしておじさんは自分の身ぐるみをザリガニが脱皮するかの如く一瞬で引き剥がしたのだった。
 現れたのは美しい女性の姿だった。酔っぱらってはいたが俺は恐らく目が文字通り「点」になっていただろう。女性の服装は肌の露出が多いドレスのようだった。いきなりホステスが目の前に現れたのだ。ホステスと異なるのはその手に杖のようなものを持っていたところだった。
「ふふふ。驚いたことでしょう。あなたのその目を見ればわかるわ。」
「こ、これは一体何ですか。」
「私は魔法使いなのです!」
「え?それはあなたの秘密ですよね。さっきは僕の秘密を教えてくれると言ってたような。」
「ああ、そうだった。まずは私の秘密から言っとかないと話が始まらないと思ったので、つい私の秘密から話し始めちゃったわ。」
「綺麗ですね。」
「何が?」
「あなたです。」目の前の女性が元はおじさんだったことを俺はすっかり忘れてしまうほどだった。
「それは光栄なことです。ありがとう。」
「本当に魔法使いなのですか。」
「本当です。証拠を見せましょう。」といって女性は一冊の本をどこかから取り出した。よく見ると算盤の教科書だった。本は女性の手から離れて宙に浮いた。そして開かれた本の或るページにとんでもない桁数の数字が数多に並べられていた。
「答えは589039003987632よ!」俺はその本を手に取り正解が記されているページを探して見た。
「あ、合ってます。正解です。」
「一瞬で正解を出したわ。これで私が魔法使いだと信じるわね。」正解を出したことの驚きよりも目の前で一冊の本が宙に浮いていたことの方が驚きだったが。
「すごいですね。」と俺は答えた。「その杖で魔法を使うんですか。」
「いやこれはダイソーで買ったのよ。」
「何で?」
「これがあれば魔法使いらしく見えるかなと思って。」
「何か凄いけど、何かずれてる気がする。」
「そう、あなたも私と同じ魔法使いなのよ。わかったわね。それではさようなら!」と女性は言って足早に去っていった。魔法使いなので宙に浮いてでもしながら去っていきそうな勢いだったが、普通に走って去っていった。俺は呆気にとられていた。心に得体の知れない穴が開いたような気持ちだった。この穴を埋めるためにまだ営業している酒の飲める店を探すことにした。探しても探しても居酒屋もスナックも開いているところはなかった。魔法を使ってどうにかしたかったが、俺は魔法の使い方がわからない。ただ「あなたは魔法使い」だと告げられただけだった。夢を見ていたのか。多分夢なのだろう。酔っぱらっているし。幻覚を見たのかも知れない。女性は去っていったし、俺としてはどうしようもない。幻覚だったのだろうと思うことにした。今度どこかの店でマスターと話をするときのネタにしよう。
 ゴミ捨て場からの異臭が今頃になって強く感じてきた。

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