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ナイフとコンプライアンス

 新しい機能なんていらなかった。書ければよかった、文章を。ぼくの頭の中にあることをダイレクトに。ぼくの脳はまだまだ開発の余地があった。誰も彼もがぼくにいろんなことを質問してきた。ぼくのことはただの「阿呆」だと言っていた連中こそ阿呆だった。それが判明したと同時に彼らは大きな恥をかいた。人は死ぬことよりも恥を恐れる。恥をかくくらいなら死んでこの身をなんとやら。ぼくのことを阿呆だと言っていた連中と、ぼくのことを阿呆だと思っていた連中は皆もう死んでしまったか、もしくはぼくの目の届かない遠くへ行ってしまった。天国かそれとも地獄か、はたまた三丁目の角の煙草屋か。
 誰も見ていないところ、そこでぼくはポケットに隠してあったナイフで彼ら、まずは松村から痛めつけることにした。松村は賢くなかった。だから最初に松村の頭の毛をナイフで剃ってツンツルテンにしてやろうと思った。しかしぼくはまだナイフの使い方に慣れていなかった。だからぼくのナイフは松村の髪の毛を剃るというより、頭皮をナイフで剥がすようなことになった。松村の頭皮はずりむけて血がほとばしった。最初ぼくは驚いたがすぐに気を取り直して作業を続けた。松村は悲鳴をあげていた。その悲痛な声が誰かに聞こえてやしないかとビクビクした。いちいちビクビクしているようではいけないと自分を律するためにぼくはなお一層の力を込めて松村の頭皮をナイフで削った。すると骨が現れた。頭蓋骨だった。ここまでくると見たくなった、脳を、松村の阿呆な脳を。ナイフを頭蓋骨の頭頂から垂直にぶっ差し、思いっきり力を込めてナイフの柄を叩いた。すると頭蓋骨は真っ二つに割れた。もうとっくに松村は気絶していた。とうとうぼくは見た、脳を、阿呆な松村の脳を。直に見る脳はどうってことはなかった。というより他の人の脳を直に見たことがないから比較のしようがなかった。ぼくは気絶している松村を放っておいてその場を去った。その後、二度と松村と会うことはなかったが、AEONで買い物をしている松村を見かけたと話している人がいた。
 ぼくのことを最初に阿呆だと定義した人物がいる。次はこいつを痛めつけることにした。こいつも賢くない奴だった。何かとトラブルが発生するたびに他人のせいにしていた。臆病な性格のくせに威張っていた。あまりにも威張り散らすので、大声で反撃してやった。するとこいつも大声で、金切り声で反撃してきた。ぼくは金切り声が出せなかったのでさっきと同じように大声で反撃した。そんなことを繰り返しているうちに、こいつの金切り声が「怒り」ではなく「哀愁」のように聞こえてきた。もしかしてこいつ、泣いてるのか?と思うくらいだった。いい加減なところで口喧嘩は止めにした。こいつはキレて自席に戻って行って座った。大きな音を立てて、デスクが壊れてしまうんじゃないかと思うくらいに椅子や足をデスクにぶつけて音を鳴らしていた。その音にも哀愁を感じた。「俺は強い人間だぞ!」というアピールを一生懸命やっているようだった。俺は破天荒な奴なんだ!俺はどんな奴にも強気で立ち向かうんだ!と言っているようだった。ぼくも自席に戻って座った。そして仕事の続きを黙々としていた。ついさっき口喧嘩をしていたにも関わらずぼくの気持ちは冷静だった、落ち着いていた。すぐに仕事に没頭することが出来た。数分経ったころに気がついた、遠くからの視線に。こいつだった。ぼくはこいつの方に顔を向けてじっと見た。こいつはチラッチラッとぼくの様子を伺っていたようだった。ぼくに何かされるとでも思っていたのだろうか。もしかして怯えてた?あんなに強気アピールしてたこいつが?ぼくはこいつの視界にしか入らない体勢でポケットからナイフを取り出して、あからさまにこいつにナイフが見えるようにした。するとサッと視線をそらした、こいつは。本当は気の弱いこいつ。そしてぼくは意味もなく大声をだしてみた。
「うわあぁ!」と。部屋のみんなが驚いてぼくに注目した。ぼくはみんなに見られておかしくて面白い気持ちになって今度は大笑いした。わっはっは!わっはっは!頭がおかしくなったと思われたかも知れない。でもそれでよかった。ぼくの姿を見ていたみんなの表情はあっけにとられたみたいな感じになっていた。が、そのときこいつだけはぼくのことを見ていなかった。
 あと何人だったか、ナイフを使って腹を裂いたり足の爪を剥がしてやったりした。ぼくはそんなことを繰り返すことで憂さ晴らしが出来ているとも思わなかった。ただ、奴らはぼくに嫌なことを言ってくることがなくなった。ナイフはいろんな人の血液を経験してきたので変色してきた。変わらないのはぼくの心の色だけだった。それ以外は何もかもが変わった。コンプライアンスという言葉が流行した。コンプライアンスという言葉が流行し始めたと同時にあいつもこいつも大人しくなった。ぼく以外のみんなは「○○さんは最近丸くなった、優しくなった」とか言っていたけど、ぼくはそうは思わなかった。彼らは、あいつやこいつは、コンプライアンスに抑えられて暴言が吐けなくなっただけだろうとぼくは思っていた。
 あのとき持っていたナイフは、今はもうどこかへ行ってしまった。天国かそれとも地獄か、はたまた三丁目の角の煙草屋か。
 二千文字を超えるくらいに書くことが出来たので今日はもう充分だ。

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