綺麗な言葉や文法を気にせずにただただ自身の心のわだかまりを吐き続けようと思う。 ここ1か月不眠に悩まされている。 原因は双極性障害の妻である。 妻の負担が蓄積されて重さを感じ始めている。 いわゆる当事者家族というやつだ。 この悩みを吐き出せる相手もいなく、自分なりに立ち回ってきたが寝れない日々が続くうちに動きも鈍りつつある。 妻にストレスを与えてはいけないのはわかる。ではそれを支える家族のストレスは? 私はまだ40でやりたい事はいっぱいある。 妻もそうだろ
仕事は気を張って頑張らなくてはならない。 そんなことはない。 そんなことを毎日続けていたら身体が持たない。 仕事はまず長く続けられることが大前提。 力を抜いて程よい緊張感で行うのが理想。 だから私は仕事中はふざけている。 くだらない事を話し、馬鹿笑いをしいつもニコニコしている。 そうしたいのだ。 毎日、1日の大半を仕事が占める。 楽しくなくては続かない。 それでもストレスは溜まるし、身体の疲れはある。 でも楽しいから続けられることもある。 仕事の厳しさ
生活の為に特に興味があるわけでもない仕事に1日の大半を奪われ、双極性障害により外出出来ない妻を気にする。 波風を立てなければ、無事今日も過ごせましたね・・・。 ・・これでいいのか。いいとは思わない。 妻の動向を見守りながら、毎月安定して給料が入るから正社員になり、だが私の精神は一向に安定しない。 爪を噛み、落ち着かない感情を絵にぶつけ、吐き出したつもりでいる。 この不安定さが何かしなくてはと急かしにくる。 落ち着かない日々が続く。 この先、私はどこで何をしている
私は常に写真を撮ったり絵を描いたりこうして文章を書いたりしていないとイライラしてしまう。 つまり何か創作していないと精神のバランスを崩してしまう。 特にここ最近は特にひどく、音楽は聴けるものの、本を読むことは出来ない、テレビも観れない、外に出て気分転換もしようと思わない。 とにかく頭の中に出て来たイメージを具現化(創作活動)する事が最優先になってしまう。 様々なイメージはどんどん頭の中で出てくる。 常に頭の中にいるからほっとくことが出来ない。 具現化すると頭から離
ある女性から付き合っている彼氏の愚痴を聞いていた。 私は好奇心旺盛なので、その愚痴に対し深掘りをしたくなってしまう。 愚痴に対し共感したり、話を膨らましたり、または違う角度から言ってみたり・・。 私の中では「彼氏の愚痴」というテーマでコミュニケーションをとっているつもりだった。 そしてある夜、lineにその女性から「大事な彼氏を馬鹿にするのはやめてください」というメールがきた。 全く理解が出来なかった。 女性の言い分は愚痴なんだから聞き流して欲しかったらしい。
ネット、テレビ、ラジオ、本・・・。 無意識に情報を求めてしまう。 中毒かのように何かに触れようとする。 そのためにインプットばかりで頭でっかちになってしまう。 インプットの時間ばかりでアウトプットという発想まで行き着かない。 インプットの時間を削り、アウトプットの時間を増やすべき。 自分の思考を具現化する。 お客さんからプレイヤーになる。 プレイヤーになることで時間の濃度が変わる。 インプットの時間を削り、自分の思考の時間、そこからアウトプットの時間を増やす
自由時間とは「やりたいことを、やりたいように、やる」ことが出来る時間。 個々それぞれあるだろうが、私はこの時間が無いと身体に支障が出る。 具体的に何時間必要かは知らないが、今は足りないのはわかる。 私は何よりもこの時間を優先する。 正直、妻の体調が悪かろうが、仕事が人手不足だろうが私の自由時間が最優先。 だから、この時間を絶対に邪魔されたくない。
Lucky Kilimanjaroの「DO DO DO」という曲の歌詞。 そこを抜け出せ 特別な自分を味わう準備はできてる? 君次第なんだ 誰も止められない そんな権利もないし ただただ選べ 何を愛することができるか 今自分が何者かなんて自分自身で決めなよ 強くありたい? 願うだけでは叶わない 次自分がどこにいくかなんて自分自身で選びな 踊り出したい? 踊り出したらいいよ Do it Do it Do Do ここからDo Do Do どこへいくかを決めたら
Twitterを見ていると言葉の向こう側の行動が気になる。 Twitter内ではいくらでも言えると疑いがあるのだろう。 もっとわかりやすく言えば、あまり自分を語らないが行動でしっかり表現している人の方が信用出来る。 言葉はいくらでも言える。 行動と比べたらリスクがないからだ。 Twitterは距離を置いていいと思う。 1人の人間が1つの物事を様々な角度から言う事が出来る。 まるでディベートの世界。 辻褄合わせの世界は本質が見えづらい。 言葉より行動を。
宮迫さんと亮さんの会見を観た。 ついこの前までテレビの中であんなに笑っていたのに・・ 会見観るだけで苦しく悲しくなる。 芸人ってなんなんだよ!! 尊敬するお笑い芸人さんのあんな姿はもう見たくない。 吉本芸人よ。もう泣かないでくれ。 あなたたちには私はどれだけ助けられてきたか。 頼むから、くだらなくバカバカしくはしゃぎ倒してくれ。
私も含め、人間とは愛おしいクズである。 人間はクズであることを前提にした生き物である。 クズなのに必死に考え、行動し、生きている所に愛おしさを感じる。 時には背伸びをし、虚勢を張り、見栄を張り、空回りをし、反省をして、ふてくされたりもして、愛おしいではないか。 私はそこも含めて人間が好きなのだろう。 それでも明日はやってきてクズ同士いがみ合いながら助け合いながら生きていくしかないのだ。 私は紛れもなく立派なクズである。
技術や知識を得る必要はない。 ただ見方を変えるだけ。 1つの物事を1つの視点だけを見て語ってはいけない。 あらゆる角度から物事を見ることで日常の景色が変わる。 それは簡単なことではない。 必死に考える。 必ず見落としてる視点があるはずだ。 視点は無限にある。1つの視点で世界を見てはいけない。 諦めてはいけない。 必死になって考える。その過程こそが時間の美しい使い方なんだと思う。
茂木健一郎さんがnoteで情熱についてこう書かれている。 情熱というのは、何かが欠けている、足りないという無意識から生まれるものだから、満足している人には情熱がない。 **しかし、どんな人でも、実はその可能性を十全には活かしていない。 情熱がない人は、自分の可能性に気づいていないのである。 子どもはみんな情熱がある。 子どもは当然のことながら自分に足りないものがあるという本能があるからだ。** 大人になると、一部の人が勘違いして今のままでいいのだ
双極症の妻と結婚して7年が経つ。 長年、双極症で動けず、苦しんでる妻を見守っている私の中にある「好奇心」がいまだに死なないのはなぜだろうか。 そんな妻を見ていれば平穏に日常生活を送るのが良いのはわかっている。 わかってはいるが、好奇心を常に抑え日常生活を過ごすことを選んでいる事を演じている自分がいることもわかっている。 逆に日常生活に変化を求めず平穏に過ごしたいと本心から思っている人もいる。 好奇心とはなんだろうか。 どうしても何か新しいことをしたい、興味があ
例えばホームランバッターに憧れて野球に興味が持ちやってみたいと思う。 いざやってみたら全然ホームランなんて打てないし、それどころかボールがバットに当たらない。 でも誰よりも肩が強いということがわかった。 たまたま野球に興味を持ったけど、強肩はたまたまではなく、その人の生まれ持った能力である。 そういうことって参加しないとわからない。 やってみて自分の能力に気づく。 興味があるものはとりあえずやってみる。 それは自分の生まれ持った能力を知る事ができるという効果もあ
私はやってみなければ気が済まない性格らしい。 例えば映画鑑賞で終わらず、映画を撮りたい衝動に駆られ映画学校に通ったり漫画が好きから絵を描き始めたり・・とにかくその世界へ飛び込んで見たくなるのだ。 だから映画鑑賞、漫画を読むのが好きで止められる人の気持ちがわからない。 当事者になるのが1番面白い。 祭りを見ているより祭りに飛び込め。