「青い数珠を持った老女」
これはとある住宅街での話。
私が長期間の水道工事の警備員( 正しくは交通誘導警備員というが、ややこしいので、警備員とする )としてを配置されたときのことである。
その住宅街は小さな山を切り開いて作られており、そのせいで緩急様々な坂で囲まれている。
こういう住宅街ではわりとよく、その一角に小さな墓地があったりする。
おそらく、昔からそこに住んでいた人の墓地。
夜深くともあれば、不気味に映るかもしれない光景も、日中明るいところで見る分にはなんということはない。
ある同僚は「落ち着いた雰囲気があって、なんとなく私は好きなんだよね」などと言っていた。
私は工事中、その墓地の目の前に立つことが多かった。
ちょうど、住民さんたちの通り道になっている細い十字路で事故がないように注意する必要があった。
とはいえ、長期間の水道工事だからと言って、同じ所ばかりを工事するわけではない。
ある地域の水道管を数か月から半年かけて新しいものに交換する工事なので、警備をする場所も本来あちらこちらとなる。
だから普通は毎回同じ所に立つことはないのだが、そのときは偶然、その十字路に絡んだ場所の工事が多かったのだ。
しかし、そうやって、ある程度の間そこにいると、住民さんとも互いに名前を知らない顔見知りになったりもする。
なかには名前を聞かれたりして、「警備員さん」ではなく○○さんと呼ばれるようになることもある。
しかし、ある婆さんとはまったくコミュニケーションをとることができずにいた。
そのお婆さん、ちょっと不思議なお婆さんだった。
見た目で言えば不思議なところはどこもなかった。
服装はベージュ基調が多く、地味ながら清潔感があり、肩くらいの白髪はキレイに揃えられていて、手にはいつも青いきれいな数珠を持っていた。
少し背は曲がっているが、ふらついたところもなく、一見すれば品の良いお婆さんといった感じだ。
強いて言えば、「おはようございます」などの挨拶の言葉をこちらからかけても、まったく反応はなかったのが気になるところだが、そういう方は別に少なくはない。
不思議なのはその行動の方だった。
先のとおり、墓地があるのだが、お婆さんは数珠を持ち、そちらに向かって手を合わせるのだ。
お墓に手を合わせるという行為には別になんら不可思議なところはないだろう。
だが、それが墓地の外からとなると不思議に思った私の感情を理解してもらえると思う。
別になにか「関係者立ち入り禁止」とか「扉があって鍵がかかっている」とか、そういったことはない。
普通に入ろうと思えば、難なく入ることができる。そんな場所にあるのにだ。
通り掛けにサッと手を合わせるだけなら、亡くなったご家族に日々の挨拶でもしていらっしゃるのかなと思うだけだ。
しかし、お婆さんはしっかり道の端に足を止めて、手を合わせていた。
体の向きから、おそらくこれだろうという黒い立派なお墓がそこにはあったが、そのお墓の前に行くわけでもなく、ただ、距離を取り、遠い目で手を合わせているのである。
お婆さんが意図的にお墓に近づこうとしていないような、そんな風に私には見えた。
口さがない人が「あのお婆さん、ボケているのかな?」などと言っていたが、たしかにそんな風に見えてしまうようだったので、私も何も言わなかった。
それから何日くらい経っただろうか、ある日、お婆さんに似た中年女性がお参りに来ていた。
私は年齢的におそらく娘さんかなと思い、様子を伺いつつ、目が合ったタイミングで声をかけることにした。
警戒されるかなと思ったが、その女性は社交的で話し好きのようだった。
軽い世間話が始まり、その流れのまま、お婆さんについて聞いてみることにした。
女性とお婆さんが親子なんじゃないかという予感は当たっていた。
容姿が女性に似ていたこと、手に青い数珠を持っていることを告げると、女性は「それはおそらく、私の母だと思います」と答えたが、その表情がどうにもすぐれない。困惑しているようにも見えた。
「どうかしましたか?」
と私が聞くと、女性は何も言わず、スマホを取り出すと目の前で操作し始めた。
「この中にいますか?」と言いつつ画面を見せるので、覗き込むと、画面には同年代の女性らしき人が3人ほど並んでいた。そしてその中の一人が、いつもお参りにくるお婆さんだった。
私が画面を指さして「この右側の女性です」というと、女性は表情を暗くしたまま少し言いにくそうに、「母はもう亡くなっているんです」と言った。
亡くなったのはごく最近のことで四十九日もまだ終わっていないそうだった。
私が女性の言葉に驚かなかったのは、お婆さんの日ごろの反応があったからかもしれない。私の言葉を無視しているのではなく、もともと聞こえていない。どこか虚ろともいえる表情といい、なんというか胃の腑に落ちた。
日ごろのお婆さん様子を私が話すと女性は顔を伏せながらそっと目を押さえたようだった。
「母はどのあたりに?」
女性に言葉に私は、いつもお婆さんが立ち止まる辺りを指さした。
「このあたりで手を合わせています」
私の言葉に女性はそちらに体を向けて手を合わせた。その姿はなるほど、母娘だなと思えるほどに、お婆さんと似ていた。
女性はしばらく手を合わせ、あるあたりでスッと顔を上げると、私の方に軽く会釈をし、歩み去っていった。
表情から何か事情があるのだろうということはわかったが私は詳しいことは聞かなかった。それでもお婆さんの日ごろの行動の意味はなんとなく察せられた。
次の日、現場につくといつもお婆さんが立っていた辺りには水と花、そして一封の封筒が置かれていた。
置いていったのはきっと娘さんだろう。
私には相変わらずその封筒の中身は分からない。
しかし、お婆さんとそれとは無関係ではない気がしていた。
きっとお婆さんを安心させる何かを娘さんは置いていったのだと思う。
あの日以来、お婆さんに会うことも娘さんに会うこともなかった。
いつの間にか道路に供えられていた水と花もなくなった。
きっとお婆さんは娘さんに迎えてもらったのではないかと、勝手に思い勝手に安心することにした。
きっとお供え物はあるべき場所に移動したのだ。
長い工事が終わり、最終日。
私は最後、現場を後にする前にお墓に向かって一礼をした。
顔を上げると、もともと騒がしくはない住宅街の雰囲気がより一層に静かになったように感じた。
小さな墓地を「なんとなく好きだ」という同僚の気持ちがほんの少しわかった気がした。