※怪談募集企画『集まれ!怪談作家』第三回目にて「ゲスト賞」として読んで頂きました。

私の家には一本の傘があります。
祖父の遺品である特注品の和傘。
生前の祖父がそれはそれは大事にしていたものでした。
木造家屋の平屋に住み、和装を好んだ祖父でしたが、なにより好んだのは雨の日の散歩でした。
多くの人には陰鬱になる鈍色(にびいろ)の空も、空気を重たくするそのじめじめとした雰囲気でさえ、祖父は趣き深く感じるようでした。
世界がきれいに見える、それが祖父の口癖でしたが、私を含め家族には見えない世界が祖父の目には見えていたのかもしれません。
そんな祖父が雨の散歩にと特注した傘は、細身なれど高身長な祖父の体に合わせて幅は二尺七寸、実に80センチという大きなもので、黒を基調に意匠を凝らした文様は遠目で見てもそれが祖父の傘であると分かるほどに雨に映えておりました。
こういったものは雨の日に使ってしまうと手入れも普通の傘よりも面倒ではありましたが、祖父はそれさえも楽しんでいたように思います。
しかしながらこの傘、実用品としては大変使い勝手が悪い困った欠点がありました。
使いたいときほど使うことができないのです。
私と弟の兄弟は背は祖父ほど高くはありませんが、肩幅が大きく、大柄です。
この祖父の傘を使いたい場面が多々ありましたが、その都度、使おうと探すと見つかりません。傘立てなどに置くはずもなく、いつも決まったところに吊るしてあるのですが、しかしその場所にもありません。
誰かが位置を動かしたということもありません。
しかし傘はいつの間にか雨に濡れて玄関先に立てかけられているのです。
いつしか私たち家族は、どうやら、祖父が雨の日の散歩にいまだに使っているのではないかと、そう考えるようになっていました。
試しに私が玄関にいつも祖父が使っていた手入れ道具を置いておきますと、いつの間にやら道具箱は開かれ、傘はしっかりと手入れをされ、広げて置かれておりました。
やれやれと言いながら濡れたタオルなどの片づけを私たちがしますと、仏間にはわずかに気配を感じます。きっと祖父が楽しそうに笑っているのでしょう。
その一方で暑さが苦手で夏を嫌う祖父はお盆などには帰ってきません。
夕立のときも傘が使われたことはありませんから、祖父には祖父のこだわりがあるのでしょう。

さて、そんな傘ですが、先日、私が雨の日に出かけようとしますと、珍しく玄関先に掛かっておりました。
祖父が散歩を早々に切り上げたのかと見ましたが、どうも乾いていて使われた形跡がありません。
となると、私に使えとこれみよがしに祖父が置いていったということでしょうか。
いささかの疑問が浮かびはしましたが、祖父の気遣いを受けないのもまた悪いような気がして、その日は和傘を差して出かけることにしました。
近くの郵便局に行き、本を友人に送るつもりでしたから、濡らさないためにも大きい祖父の傘は実際都合が良かったのです。
しかしながら出かけてすぐ私は後悔しました。
私が向かう先の郵便局というのが大きな通りに面してはいるのですが、その道すがらの歩道が少し狭かったのです。
人と人が行き交うには私の傘は大きすぎて、周りの方に少しばかり迷惑をかけてしまいます。
ああ、すいませんと言いながら、いつもよりかえって歩みを遅くして向かっておりますと、目の前には小さなお子さんを連れた複数のご家族の姿が見えました。
傘がなければ互いに一列になってしまえば狭いながらどうにか行き交うのに難しくはないのですが、私の背と親御さんの背が近く、つまり傘がどうにも邪魔をします。
近づくにつれて、さてどうしようかと思いながら、距離を開けてお互い一瞬立ち止まり、お見合いをしてしまいました。
向こうのご家族は子どもたちを大人の側に寄せ、私は私でこれは少し傘をすぼませるのが良いかと思い、傘の柄に手をかけたところで、いきなり目の前を何かが通りました。

それは一台の車でした。

一瞬のことで、私にはその時何が起こったのかはわかりませんでした。
慌てて飛びのく間もなく、車は歩道を横切り、道沿いにあったマンションの花壇に飛び込んでいました。
私よりも向かいのご家族の方に近かったので、一瞬ヒヤリとしましたが、どうやらあちらの方にも大きな怪我はないようでした。子どもたちの甲高い声が聞こえます。
警察も病院もすぐ近くにあるところでしたので、私たちが何をすることもなく、あっという間に人だかりができ、サイレンの音も聞こえました。
私は取り急ぎ友人への送りものだけを済ませるとその場に戻りましたが、警察の方には簡単な質問をされるだけでその日は帰路につきました。

帰宅して家族にその日あったことを話しますと、母や父は祖父が守ってくれたのではと言い、孫である私たちのことをいかに可愛がっていたか思い出話に花を咲かせましたが、弟と私は少し困った顔をしていました。
その夜、弟が私の部屋を訪ねてくるとこう言いました。
「きっと、おじいちゃんが助けたかったのは子供たちだよね」
弟の言葉に私は苦笑をし、首を縦に振りました。
祖父の傘でなければ私はきっと歩みを止めることもありません。きっと事故に鉢合わせることもなく、郵便局に着いたことでしょう。
つまり私が巻き込まれたのはそもそもが祖父の差し金だったと弟は言いたかったようですし、私もそう思っていました。
しかし、もし私が大きな傘をもって通りがからなければ子どもを連れたご家族は歩みを止めることもなく車とぶつかっていたかもしれません。
「雨の日の散歩も好きだけど、小さな子どものことも好きだったからね」
私の言葉に頷いて、弟は祖父に似ていると親戚中に言われる顔で苦笑をし、そっとドアを閉めました。

後日、車の運転手の家族と仰る方が謝罪にいらっしゃいました。
警察には連絡先を伝えて構わないと言ってはいましたが、怪我をしてもいないのに随分と丁寧な方だなという印象で、実際会ってみますと品の良い物静かな女性でした。
話してみると運転をされていた方の奥様だということでした。
驚いたことに生前の祖父を知っていたようで、私の連絡先を聞き、先方も大変驚いたそうです。
庭先の紫陽花を祖父が良く見に行っていたようで、何度も行くうちに祖父とは親しくなり、祖父の通夜にもご夫婦でいらしたそうです。
驚きながらも祖父の話を二三交わしつつ事情を聴いたところでは運転手の方は事故のとき軽い心臓の発作を起こされていたようで、そのせいで偶然ハンドルを大きく切ってしまったとのことでした。
速度があまり出ておらず花壇で車が止まったことも幸いして、その方も大事なく回復されたと聞き、私はホッとしました。
「不思議な縁ですね」と私が笑うと、奥様は頭を下げましたが、肩の荷が降りた様に微笑まれました。

手土産に持っていらしたのはとある店の羊羹で、私も知らなかったのですが、祖父の好物とのことでした。
こんなところにも私の知らない祖父がいたのかと大変感慨深い思いで受け取ると、私はその羊羹を仏壇に供えることなく家族と皆で食べてしまうことにしました。
友のため、子どもたちのためにと孫を良いように使ってくれた祖父へのせめてもの仕返しだというと、みなも笑って頷き、なるほど、これが祖父の好きな味かと話ながら美味しく頂きました。
頭の片隅に祖父の口惜(くや)しそうな顔を思い描きつつ、その羊羹を次の命日には墓前に供えてあげようと思っています。

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