手を振る子供(朗読:冥賀小夜日様)

私は警備員のバイトで生計を立てておりまして、その日の現場はとある葬儀場の駐車場でした。
住宅街の中にポツンとある三階建てのビルで、一階が受付と斎場、二階が斎場、三階が事務室という比較的こじんまりとした感じの葬儀屋でした。
ビルの隣に10台くらいが止まれる駐車場があり、その前に歩道と比較的幅広い道路がありまして、その歩道が小学校の通学路になっています。
出入りする車と小学生が接触しないようにと呼ばれているわけですが、おかげさまで式の初めと終わりに参列者の方が出入りするとき以外は全く仕事がありません。
だいたい葬儀の時刻というのは登下校の時間とも合いませんから、ようは体裁として置いているようなものなのでしょう。
別にいなくても問題はないような気がしましたが、まあ、そこは利用者からの料金に含まれているんでしょうから、暇だけど楽な仕事だと思ってのんびりと空や周りの景色などを眺めてなどおりました。
駐車場の前に歩道、その前に幅の広い道路と先ほど申しましたが、その道路の向こう側にも歩道があり、その歩道に沿うように擁壁がありました。
擁壁の上にはまだ建って新しい住宅が並んでいるのが見られました。
建売の集合住宅地のようでした。私のほうから見えるのは壁と玄関くらい、家の窓は見えますが、まじまじと見るわけにはもちろんいきません。
良く言えば、のんびり朗らかとした、悪い言えば殺風景なところでした。
そんな中、ふと三歳くらいの小さな男の子が私に手を振っているのが見えました。
駐車場のちょうど正面の家で、落下防止の金網の向こうから私に手を振っています。
きっと訳も分からずに振っているだけのことなのでしょうが、それでも手持無沙汰にしていた私には嬉しい助けです。
仕事の間の和みにと、数分ほど手を振っては振り返し、振り返しては振り返されとしているとその家の玄関のドアが開き、中からは30代後半から40代くらいの中年の男性が出てきました。
子供が一目散にその男性のもとに駆け寄るのを見て、あぁ、お父さんなのだなと思い、手を振るのを止めました。
男性はラフな格好でしたから、これから散歩か買い物にでも行くのでしょう。子供と一緒にすぐに見えなくなりました。
その日の葬儀は一件だけということもあり、昼前には終わってしまいました。
事務員の男性からは、「今日は早上がりで構わないよ」と言われ、これは幸いと挨拶をして帰ることにしました。
その時ふと私が「そういえば向かいの家のお子さん、可愛らしい子ですね。私に向かって手を振ってくれましたよ」というと、事務員さんが怪訝な顔をして私に言いました。「いや、あの家には子供はいないよ。たしかご夫婦だけで住まれていたと思うけど。......うん、お子さんを見かけたことはないね。まあ、ご近所付き合いがあるわけじゃないから、気が付かなかっただけかもしれないけどね」
たしかに位置は近くても先の擁壁があるので一続きというわけでもありません。
葬儀場ですから、別に騒音があるわけでもありませんし、苦情でも来なければそんなものかもしれません。
あれだけ人懐っこい子だから、いれば目立ちそうなものだけどな?と思いながらも、別にそのときは特に不審に思うようなことはありませんでした。

その後、その葬儀場にはたびたび呼ばれることになりました。
別に指名ということもなかったんでしょうが、一回行ったことがあれば場所の説明もしなくてもいいし、会社からすれば手間が省けると、そういったくらいのことだったんでしょう。
私はと言えば、行くたび行くたびに子供と手を振り合うのが小さな楽しみとなっていました。男性は在宅勤務なのか、ある程度決まった時間に散歩をしているようで、子供もそれについて行っている、そんな感じでした。
しかし、相変わらず、その子供の話をすると事務員さんには不思議な顔をされます。私以外にその子供の姿を見た人はいないらしいのです。
私の話を聞いて以来、ときどきその事務員さんも向かいの家を見上げることがあるのですが、私がその子供をよく見かけると言った時刻でも、その事務員の男性は子供の姿をみかけることはなかったそうです。
そうして半年くらいが経った頃のことでしょうか。
いつものように葬儀場の駐車場の前で空を眺めていると、式場から事務員の男性が出てきました。どうしたのかな?と思って見やると事務員さんが私の方に歩いてきます。
何かあったのかと思って話しかけようとすると先に向こうの方から話しかけてきました。
「ねえ、警備員さん、本当に子供の姿が見えたのかい?」
それは唐突な質問でした。
「えぇ、もちろん。今日はまだ見かけていませんが、もうすぐお出掛けになる時間ですからそろそろ会えるかもしれませんよ」
私の言葉に事務員さんは首を横に振って「いや、それはないよ」と言いました。
あまりにはっきり断言されたので私も「ん?」と思うと、それが表情に出たのでしょう。
事務員さんが「亡くなったよ。今日の葬儀、その家に住んでいた旦那さんの葬儀なんだよ」そう言いました。
彼が指さした先は、たしかにいつも子供が手を振ってくれているその家でした。
「事故だったそうだ。詳しいことは知らないけれど散歩をしていて車に轢かれたらしい」
そうですか、と私は声のトーンを落として答えた。会話をしたこともなければ挨拶をしたこともないけれど、出かける姿を何度も見た相手の死というものに少ながらずショックを受けていると、「でもね」という事務員さんの声が聞こえた。
「一人だったらしい。もちろんそのときだけお子さんを連れていなかった可能性はあるんだけどね。ただ、今日の葬儀にも来ているご家族は奥さんだけなんだよ」そういうと、事務員さんは小さな白い包みを私に渡してきた。
包みには「清め塩」と書かれていた。
「どこかに預けたという可能性もゼロじゃないけど、普通、子供もいるよね?」
事務員さんの言葉に私は静かに首を縦に振りました。
「いや、警備員さんの言うことを疑っているわけじゃないんだ。むしろ疑っているわけじゃないから気味が悪くてね。ま、効果があるか分からないけど、肩にでもふりかけておくといいよ」
そういって、事務員さんは式場に戻っていきました。
私は言われた通り、肩に塩を振りかけると、思わず目の前の家に向かって手を合わせていました。
なんでそんなことをしたのか分かりません。
ただ、そうしなくてはいけないような、そんな気がしたのでした。

私はそれからもその葬儀場にはたびたび行きましたが、その日から一度も子供の姿を見かけることはありませんでした。
代わりにときどき女性が出かけるのを見かけるようになりまして、あの方が奥さんなのだろうなと思っていました。
そして、ほんの一月ほど他の現場ばかりを回って久しぶりにその葬儀場に行くと目の前の家は取り壊されていて、代わりに新しい家が建てられていました。
奥さんが引っ越したとしても不思議ではないですが、まだ新しかった家を建て替えた理由はわかりませんでした。
その件について事務員さんに聞いてみたことはあるのですが、何も知らないというよりも「知らない方がいい」といった感じで一切教えてはくれませんでした。

新しい家には今4人家族が住んでいます。ご夫婦に小さなお子さんが二人。
金網の向こうから手を振ってくれている子供は、今度こそご夫婦の子供で、ときどき葬儀場の前を通るときも挨拶をしてくれます。
事務員の男性はあの後すぐに辞めていなくなってしまいましたが、私は今でもときどきその葬儀場の前で立っています。

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