虫の知らせ(朗読:はこわけあみ様)

珍しく今回は私がした実話を書かせていただこうと思います。怖い話ではありませんのでご興味のある方だけご覧いただければと思います。

小さなころからオカルトやホラーが好きなわりに、私自身は幽霊と遭遇したことはありませんでした。
では全く不思議な体験がないのかと言えば、”全く”ではないのです。
それは怖い話ではなく、どちらかと言えば不思議な体験で、よくいう虫の知らせというやつです。
経験としては三回、すべて近しい誰かが亡くなったときのことでした。

最初は母方の祖母のとき。
すでに祖母の闘病生活は長く続いており、余命宣告も受けていました。
そんな中、祖母の容体が悪くなったのは私が小学校5年の梅雨のころでした。
当時私は寝つきの良いタイプで、一度寝るとしっかりと朝まで起きませんでしたが、その日は珍しく朝早くに目を覚ましました。
普段であれば、それでもそのまま寝なおしてしまうのですが、なぜかそのときは手元の目覚まし時計をしっかりと見ていました。
お察しのとおり、その時間は祖母が亡くなった直後でした。
近くに住んではいましたが、同居していたわけでもなく、会うとしても年に数回のことでしたが、それでも最後に孫の顔を見に来たのかもしれません。

二回目は小学校のクラスメイトでした。
その子は女の子で、彼女も長く闘病生活を送っておりました。
先天的に体が弱かったそうです。
その時も祖母と同じように明け方に目を覚まし、時計を見たのが、その子が亡くなったころの時刻でした。
偶然にして一年生の頃からずっと同じクラスで、家も近く親しくしていたクラスメイトのことだけに、ショックを受けましたが、同時に彼女が最後に何を思ったのだろうと、それが気がかりでした。
このときだけは話すことが出来たらと思わずにはいられませんでした。
もうだいぶ昔のことですから、今は生まれ変わって、あるいはどこかで巡り合っているのでしょうか。

三回目は中学生になってからのことでした。
亡くなったのは大叔父、祖父の弟で、この人がまたよく言えば豪放磊落(ごうほうらいらく)、悪く言えばいい加減な人でして、親戚中に迷惑を掛けた人だったそうですが、きっぷうがよくいつも明るい大叔父のことが私は嫌いではありませんでした。
もとより肝臓を悪くしていたのに一向にお酒を止めることもなく、ついには一升瓶を抱えたまま突然吐血、病院に運ばれるもすぐに亡くなったと聞きましたから、亡くなり方は自業自得も自業自得。
亡くなるべくして亡くなったような人でした。

その日、私が学校から帰宅すると家の空気が物凄く重くなっていました。
なんというか、言葉通りのどんよりといった感じで、いつもの自宅がとても居心地が悪い場所にいきなり変わったようで、私は一向に落ち着きませんでした。
同居していた祖父母には当然連絡が来ており、連絡を受けてすぐ家を飛び出したらしいです。
当時、携帯電話などもありませんから私にはそのことを知るすべはありませんでした。書き置きくらいは残しておいてくれればよかったのですが、両親には知らせることが出来ていたらしく、問題ないと祖父母は思ったのでしょう。
結果、私は理由も分からない不安な気持ちの中で両親が帰るのを待つことになったのですが、後日そのことを母に訴えても「大叔父さんが亡くなったからそんな気がしただけよ」と一蹴されてしまいました。
しかし、私自身ははっきりと重い空気を感じたのです。
わざわざ甥っ子の顔を見に来たなどということはなかったと思うのですが、今にして思えばあれは、大叔父の困惑が空気を変えていたのかもしれません。まだそのときは自分の死を受け入れられていなかったのかもしれません。

それ以降、幸いにして親しい人が亡くなるのには大きく間が空きましたし、祖父母を見送ったのは私が成人してからしばらく経ってからのことでした。
だからなのか、私が虫の知らせを受けたのは、この三回で終わりです。
まだ幼い、あるいは思春期の頃の感受性の強さがそれを受け止めたのかもしれませんし、これでも少し大人になり、心が動じなくなってしまったのかしれませんし、それはわかりません。
幸いにしていまだ両親は健在ですが、もし叶うなら、両親を見送るときは後から受ける「虫の知らせ」ではなく、先んじての知らせで、最後を見送らせてもらえたらなと思います。

怖くない話で申し訳ありませんが、これが私のした数少ない不思議な体験の一つです。お読みいただきありがとうございました。

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