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ブラーフィクション / Blur Fiction

俺は短気で喧嘩っぱやい。

そのくせ実はとんでもなく小心者で
何かにブチ切れた数分後には足が震えて
いたりする。

実際に肉体的な行動に出る事こそ稀だが、
行動に社会的な責任が伴う年齢になって
随分経っても酒の席はおろか、
タクシーの運転手や飲食店の店員にだって
キレる。

大方の場合は過剰反応。
もしくはキレる方向に物事を解釈している
だけだ。
自意識過剰でもあるし、
タチの悪いアテンションシーカーだとも
言える。

今までの人生で大きなトラブル
になっていないのが不思議なくらいだ。
でも、自己弁護では無いが、
弱いものいじめの類は絶対にしない。
自覚のある「キレ屋」として、
それなりのルールがあるんだ。

控えめに言っても六割くらいのは
圧倒的に相手の言動に問題があると
思っている。
だとしても大抵の人は
そんなには噛みつかない。

しかしラッキーな事に、
年齢を重ねるごとに歪んだ正義感は
緩やかに正常なそれに近づき、
主張を通す方法にも工夫ができる
ようになった。
「可能な限り丁寧な言葉使いでキレる」
という技を使えるようになったのだ。

その日、自分でもちょっと病的だと思うくらい
トイレットペーパーの予備の数に神経質な俺は、
残り4つになったロールを見て
家から徒歩5分のドラッグストアに出かけた。
そして「他人を蔑むことで己を癒すような下衆な輩」
に遭遇した。

午前中のドラッグストアは意外に活況で、
出勤前の会社員やら朝のうちに家事や買い物を済ませ、
午後を優雅に過ごしたい主婦らで賑わっていた。
二台のレジのどちらにも、
まだ十代と思しきアルバイトの女の子が立ち、
夏休みの前半を額に汗し労働している。

俺はそこそこ長い列のレジ待ちの
先頭から三番目にいた。
その列をものともせず
凄い勢いで割り込んで先頭に行き、
商品の入った袋をレジ台に乱暴に置き、
中年の男が言葉を発した。

「お前ふざけんなよ、
 金額打ち間違ってんじゃねーか。
 さっき払った金全部返せ。バカか?お前?
 こんな店で買い物出来るかよ。
 ほらこれ見てみろ!
 このレシートが証拠だっつーの、
 俺が買ったのは〇〇が〇個で、
 お前450円余計に打ってるだろうがよ!
 ほんと、お前バカか?」

店内に響く非日常的な怒号。
一瞬静まりかえり数秒も経たぬうちに
我関せずな空気が戻る。

完全に萎縮した少女(と呼んでいいだろう)
の謝る声は予想よりか細く自責と恥ずかしさ、
そして尋常ではない怒鳴り声への恐怖で
今にも消えてなくなってしまいそうだ。

「ほ、本当にすみません....
 ぜ、全額返金させていただきます....」

「は?ハッキリ喋れよ、当たり前だろうが、
 それとポイントは返さないからな!
 わかってんだろうな。
 ほんっと、お前バカじゃないのか?」

赤らんだ少女の目に涙が溜まり始める。
おそらくあと数秒も待てばコトは収まったのかもしれない、
しかしこらえきれなかった。
そう、後悔先に立たずだ。

「もうそれくらいでいいんじゃないですか?」

男の右横に立ち、左手を男の勢いを制するような形に構え、
可能な限り丁寧に且つ、凄みを利かせて言った。

「あ?お前誰だ?
 横から入って来てごちゃごちゃ言ってん
 じゃねえよ。
 こいつがレジうち間違えたのが悪いんだよ、
 客として正当なクレームだろうが!
 お前もバカか?
 偉そうにしゃしゃり出てんじゃねーよ、
 あ?バカか?」

バカの連発への反応か、
はたまたこの男の放つ生来の
他者を苛立たせるオーラのせいか、
過去数年間飼い慣らして来た無防備な怒り
が堰を切って溢れ出る。

「は?お前お前ってお前こそバカか?
何様のつもりだよ。
 いい歳こいて朝っぱらから
若い娘いじめてんじゃねーよ。
 だせえリーマン親父の代表かよ」

完全に「キレ屋」全盛期の俺に戻っている。
互いの体、顔の位置は
安いドラマで喧嘩になる寸前、
さながらのギリギリの距離のあれだ。

「なんだと!
 おめえみたいなチンピラに説教
される覚えはねんだよ、
 外野がガタガタ言ってっと怪我すっぞ、
おらぁ!」

「やんのかおらぁ?おっさんこそ怪我するぞ、
    ちゅうか、誰か警察呼べ!」
(恐らく俺の足は震えていただろう)

見かねた俺の背後の若いサラリーマンが
抑えの効いた正義感で俺とおっさん(もうおっさんでいい)
の間に割って入った。
おっさんに背を向ける格好で俺に向き合い、

「お兄さん、この人おかしいから
相手にしないほうがいいですよ、
 こんなんで警察沙汰になったら損ですよ」
と小声で俺を諭す。

すると、突然レジ待ち列の最後尾から
レジの少女と同年代の娘が小走りに駆け寄って来た

「お取り込み中申し訳ないんですが、
助けてください」

俺と若いサラリーマンのほぼ正面に立ち、
不必要にキラキラした瞳で訴えかける。

「抱きしめて欲しいんです」

たたみかけるように続く。

どちらに投げられている言葉か全く判らないのは、
彼女の立っているポジションが
俺ら二人に対して二等辺三角形の頂点
のような場所で、
綺麗なシンメトリーの顔立ちの大部分を占める大きな二つの目、
その視線が俺と若いサラリーマンに、
左右それぞれに均等に注がれているからだ。

「抱きしめてもらえませんか?
強めのハグでいいんです」

誰も全く状況が理解できないにも関わらず、
一方通行にしか行けない路地の車のように事態は進む。
顔を見合わせた俺と若いサラリーマンは互いに、
あなたがどうぞと言わんばかりに譲り合う、
いや避け合う。

数秒の躊躇のあと
半端な正義感の微差で俺が彼女の肩を抱きしめる。
間髪入れず彼女が身体をグッと押し込んでる。
更に強く力を込めようとした瞬間、
柔らかな羽毛に撥ねつけられるように
彼女の身体がパッと俺から離れる。

「ありがとうございました、
本当に救われました」

その口調は、
太古の女神が使う魔法の呪文のようで、
礼を言っているのだが礼には聞こえなかった。

そして気がつけば、
その約十数秒の出来事の間におっさんは消え、
レジの少女は何事もなかったかのように
OLが待つウェットティッシュの会計をしていた。

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