FLASHBACK〜夢のかけら

ジブンのなかの何かが終わったり、死んだりする感覚は初めてじゃないしこれからもジブン自身が失くなってしまうまで何度もやってくるんだと思う。

音楽は他の芸術に実は似ていなくて、イチバン近いのは「匂い」だと考えていて、記憶との密接な関係や手にとってフィジカルな意味で可視化出来ないところも共通する。

思春期をとおしてある程度歪んだ趣向の音楽やアート、映画、文学などに触れた。それらの記憶のなかにほぼ言語化できない郷愁感と帰巣願望を今も胸の奥深くに抱えている。

「あの日に帰りたい」わけじゃなく、傍観者でもいいからもう一度見たいものや出来事、得たい感情がたくさんあるからだ。答え合わせですらなく、己の中で美化されてしまった記憶が裏切られる結果になったとしても構わない。後ろ向きな意味でも前向きなそれでもなく、傍観者でいいのだ。

YT
彼の音楽キャリアのある意味黄金期とぼくの思春期は重なっていて、本質的な意味でのポップス観は恐らくこの時期に養われた気がする。数十年を経て彼の訃報に触れて好きだった曲を何曲も聞いている。一瞬でときを超えて感情や記憶が蘇る。

思春期の自分からは想像もつかないだろうが、表現する側になって久しい現在。彼の音楽が今日という日をとてもエモーショナルなものにしているようなことを自分が亡くなったとき他者に起こせるとは思わない。
しかし振り返ってみたときいくつかの自作の曲の中に自分自身が忘れてしまった感情を見つけることが出来る。

そして、さらにその奥に複雑に埋め込まれた、とてもわかりにくい文脈で構成された隔世遺伝のような影響を発見することが出来る。


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