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価値観は人格形成においての調味料である

「自分にとって大事なもの」…友達だったりおもちゃだったり価値観、スタンス。色々ありますわな。自分にとって大事なものも他人から見ればそーでも無かったり。それでちょくちょく人と意見がぶつかってしまうことって経験していると思うんですよね。今回はそんなよくあることからたまたま気づいた価値観の話。

価値観って案外もろいのよって話

結局は見え方。自分の目にどう移るか、これで大体印象が決まってしまう。
「名医のお墨付きのサプリ!」とか「オックスフォード大学で発見された新メカニズム~…」って触れ込んだり、「デブは醜い」「デブが原因で夜がおろそかに…」最近のYouTubeでよく見るアレ。
何回かでいいからスキップしないであの広告見てみて。
悪い印象がうっすらとでもついちゃうと思うんですよ。「デブ」に
広告に影響された、とかそういうわけではなくて毎回毎回それらを見続けてしまうとそういう『すりこみ』が起きてしまう。
自分はデブにたいしてそういう価値観を持っていなくても。
そこがあの広告の狙いであると自分は思うんです。
とまあ、例の広告で例えてみましたが結論、何が言いたいのかというと
肯定でも否定でも“され続ければ当人の価値観は壊れてしまう。”』って事です。これは他人の指摘に限った話ではなくて『自分は間違っていない
自分の意見はおかしい』どちらかに偏ってしまうとせっかくのあなたの価値観が壊れてしまうんです
だから何か意見だったり、考えを発信する時は『自分は間違っていない
自分の意見はおかしい』ではなくて、『これはあくまでも自分の考え、価値観に基づくもの』って一呼吸を置くと、案外ストレスなく肯定されても否定されても過ごせるかと思います。
くれぐれも判断基準を『善悪、世論や風潮』に任せないで。
貴方の考えは貴方だけのものだからね。善悪とか、肯定否定とか関係ないから!!!!!
『トマトが好きな奴もいれば嫌いな奴もいる』とかそれぐらいのもんよ!(暴論)
……偉ぶってここまで言ってきたけど自分もつい最近までこれで悩んでいたんですわ…私も。自分が肯定されるのも否定されるのも慣れていないから一喜一憂しちゃってそれが結構ストレスでね。
常に自分は正しくないといけない』って謎の強迫観念に苛まれてしまったり、『他人の求める最高最善の自分』になろうとしてしまってすっっっっっごい疲れたんですわ。
誰が自分を大事にしてくれてるのかもわかんなかったし、誰と仲良くしたいかもわかんない状態になって、ここ数年しんどくてしんどくて…だから思い切って友人の断捨離(言い方が悪すぎる)を行いました!
たいして絡んでいない人、付き合いは長いけど考え方が苦手な人学校の友達、そういう人たちの連絡先や写真を可能な限り削除して改めて自分を大事にしてくれてる人、大事にしたい人、仲良くしたい人…しっかり選んでみたら案外楽になったんです。自分の事が分からんくなってがんじがらめになってる人!!!是非やってみて!自分はそれで自分の考えを再構築出来た!
自分を見失わないで済んだの!

最後に

ウイルスとか誹謗中傷とかで悲しい事がいっぱい起きてるけど
自分ばかり不幸って思わずに、他人も責めすぎずに自分の手が届く範囲で
出来る事、やっていこうぜ!

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