見出し画像

これまでの学校の勉強・教育などで窮屈さを感じたことがありませんか?

例えば、漢字を習って、それを書き写す勉強。
最初は、なぞることからはじめて、形からはみ出さないように整えて書く。

字は確かにうまくなりますが、何か窮屈さを感じる…。

きっと、それは型にはめられているからなんだと思う。

私が万年筆を使う理由の1つとして、自由に書く楽しさを感じられるからというのがあります。

前職の上司の万年筆で書いた字が、味のある字に見えて書いてる姿もとてもかっこよく見えた。

その字は、綺麗に書くというよりかは、書き順も形も崩されて、個性がたっぷり。

うまく書こうとせず、自分らしく、自分の想いを大切にして書く。
これが万年筆の魅力の1つなんです。

さて、昨日(2022年1月9日)にTwitterのスペースでうみそらさんといけたつさんと「才能の見つけ方」というテーマーで話をした。

うみさらさんの音楽に向き合う姿勢から、才能を見つけだす力については昨日noteにアップしています。

今日はいけたつさんとの話で興味深かったことについて書いておきたいと思う。

いけたつさんは、筆文字アイデア作家として活動しており、色んな気づきを筆文字で書いています。

昨日のスペースでの会話の中で、なぜ、筆文字なのかという話になった所、「筆文字は自由に書いていい。形をきれいに書くのが苦手で、筆文字の自由に書くというスタイルが自分を楽にさせてくれた」とのこと。

いけたつさんは、型にハマることを窮屈に感じていた。

学校の勉強も生きていくことも、世間の常識という型にハマっていくことなのかもしれない。

それはそれで、もちろん大切なこと。

しかし、自分らしさとか、余白は生きていく上でとても大事だ。

自由度や余白があるから、人生は楽しい。

教育とは型を作っていくことかもしれないし、型を作ることで、常識を学んでいく。大人になるということはそういうことだ。

それなのに、大人になった途端、それが窮屈に感じてしまい、生きづらさを感じることもある。

型があるから生きやすいし、型があるから生きづらい。

何を言っているのだろうか…。

これまで生きてきた中で、今の自分を作りだしているの、それまでの生き方である。

その生き方が窮屈に感じたら、型を解放すればいい。

いけたつさんの筆文字は、字をきれいに書くとうよりかは、心にある想いとか、イメージを表現するもの。

型に沿ってきれいに書くのではなく、想いを書く。

その文字はきれいに見えるというよりかは、想いを感じる。

どんな想いでこの文字を書いたのか。なぜ、この線を太く書いたのか、ここでなぜ力を入れたのかなど、きっと意味がある。

そういう「想い」を感じながらいけたつさんの筆文字を見ると、自分の感性も磨かれているような気がする。

型から解放されたとき、自分らしさの意味が少し理解できるのかもしれない。

いけたつさんの、きっちり書くのが窮屈に感じるのは、私もまったく同じことを感じた。万年筆は、その思いから私を解放してくれた。

いけたつさんは、筆文字。

型からの解放は人それぞれだと思うし、きっかけになることも人それぞれだと思う。

型からの解放を少し意識してみると人生が楽しくなるかもしれない。

今回のうみそらさんといけたつさんとのスペースでの会話はあまりにも濃厚すぎた。

自分で考えるだけでは、前へ進みにくいし、煮詰まるときもある。
これからも、たくさんの人と交流して自分を磨いていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

皆様にとって有意義な情報を発信していきます。 よろしければサポートお願いします。