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自分史の変遷〜ノートからnoteへ

自分史を書こうと思い立った時、大昔だったらノート(紙のノートという意味です。念のため^^;)に手書きで、もう少し最近になると、ワードなどのソフトを使ってパソコンに、という方法が主流でした。ところが最近はSNSの浸透により、いわゆる自分史の形は大きく変わりました。

昭和時代の自分史

昭和の時代、家庭用パソコンというのは一般的ではありませんでした。昭和50年代になって家庭用ワープロが少し普及したかな、ぐらいの時代です。この時代に自分史を書こうと思ったら、大半の人はノートに手書きで書いていたと思います。誰かに自分の自分史を見てもらいたいと考えた人は、大枚をはたいて自費出版で本の形にしたり、近所の印刷屋さんで印刷してもらったりしていました。印刷屋さんで作る方法には幾つかあって、最も安価でできたのが手書きの原稿をそのまま印刷してもらう方法。そうでなければ活版印刷(一つ一つの活字を並べて文章にした活版、組版を作って印刷した印刷方式)が主流の時代だったので、手間もお金も結構かかっていました。ですので大半の人は自分史と言っても日記とほぼ変わらないようなものを、自分だけ、あるいはごくごく親しい一部の人たち(家族とか)のためだけに、手元に残しておくというスタイルが一般的でした。

平成時代の自分史

パソコンが浸透したことで、ワープロソフトを使って自分で文章を書くことが当たり前になりました。これにより自分史は、手書きでノートに書くというより、ワープロソフトを使ってパソコンに向かって書くスタイルが主流になりました。また、それを家庭用プリンターを使って印刷すれば、簡易的ですが一冊の本という形で自分史を残すことができるようになりました。そしてSNSの普及・・ツイッターなどの文章量が限られているものや、画像や映像がメインとなるインスタグラム、ラインのタイムライン機能やフェイスブック、アメブロなどの各種ブログサービスなどなど・・私はそれらに日常を綴ることも立派な自分史のひとつだと考えています。そして、特徴のひとつとして自分以外の人も読める(見られる)という点があります。これまでは自分だけ、あるいは周辺のごくごく限られた人だけが読んでいた誰かの自分史が、当たり前に世界へ向けて発信できるようになったのです。この激動の変化を記憶に止めておくことが、今の時代を知る上で極めて重要であるように私は感じています。

令和時代の自分史

ノートからワープロ、そしてSNSへとその舞台を変えてきた「自分史」。令和の時代はどのように変わっていくのか、正直なところうまく想像できません。ただ一つ言えるのは、主に文章と写真、一部映像(音声含む)で伝えられてきた自分史ですが、今後は映像で伝えることは当たり前になっていくのかなと。文章、写真、映像では、それぞれにメリットがあるので、どれかが廃れるというわけではなく、使い分けられながら自分史の素材として活用されていくのだと思います。

ただ、映像を一時停止させて、その一部を取り出すことで写真として使えてしまうので、その点で写真は廃れてしまうのでは?という心配はあります。背景をボカすなどの画像加工も誰でも簡単にできるようになってきましたし・・そうなると映像から気に入った瞬間の画像を切り取って、イメージした加工を施して1枚の写真に仕上げる・・が当たり前になるのかもしれません。基本は文章と映像で残しておいて、必要があれば加工して写真にする、というスタイルです。

こうして日々記録された自分史の素材が、リアルタイムで(あるいは何年か経って)発信される・・という流れで考えると、文章+映像がスタンダートな自分史の形になっていくのかと、そう考えるわけです。

使いやすく美しい『note』がおすすめ

私は普段からライターや編集者として文章を書く仕事をしています。そんな私が考える、自分史を書く上でおすすめのツールは・・noteだと思います。理由はいくつかありますが、一番の理由は文章の並びが美しい=読みやすいこと。行間の取り方や見出しの入り方が、デザインとして完成されています。この点が私がnoteを使い始めて一番びっくりした点でありファンになった理由です。公開せずとも下書きとして保存できるので、アイデアや書きかけのものの保管場所、あるいはワープロソフトの代わりとしても利用できます。なのでこれからも、色々と活用させていただこうと考えています。

これを読んでくれている人は、実際に自分でnoteを使っている人が多いと思うので「そんなの知ってたよ!」という場合はご容赦を。私のこの文章でnoteを知ったという人に向けて言います。noteは自分史に限らず、何かしら文章で発信したいと考えている人におすすめのツールです^^

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