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渋谷の歴史 : CISCO RECORDS/レコードショップ・シスコの歴史

「渋谷系」サブカルチャーを支えた「レコードショップ・シスコ」の歴史

サブカルチャーにはそのシーンを支える「店での買い物」が不可欠である。「店」がなければそのカルチャー自体が成立しないと思う。
特に「渋谷系」と言われるサブカルチャーにはレコード店そのものと、その店でレコードを買う行為が非常に重要だった。そして70年代初頭から「渋谷系」のシーンを牽引した「輸入レコード店」のレコードショップ・シスコは特別な存在だった。

もう17年前・・・2007年12月10日、渋谷のシスコ坂の主「レコードショップ・シスコ」が惜しまれつつ閉店した。閉店時の別れを惜しむ動画がYoutubeに今でも複数投稿されている。誰もが認める渋谷の名店の閉店はレコード業界関係者もファンも皆ショックだった。

レコードショップ・シスコとシスコ坂

レコードショップ・シスコは渋谷区宇田川町などに存在した輸入レコード店である。渋谷区宇田川町にある坂道の通称「シスコ坂」の名前の由来になるほどの有名店であった。私も数え切れないほど通った。

2024年9月某日のシスコ坂
2024年9月某日のシスコ坂
シスコ坂中腹にある柳光ビル&シスコ坂のモニュメント
シスコ坂中腹にある柳光ビル&シスコ坂のモニュメント

シスコ坂自体は渋谷区非公認の名前であるが非常に浸透しており、最後に入居していた柳光ビルのオーナーが建立したモニュメントもある。
こちらの道路は区の管轄の道路と階段であり、NHK放送センター内郵便局方面から井の頭通りに抜ける非常に便利な坂道である。

シスコ坂の頂上付近に神南小学校があるが、非常に残念なことにシスコ坂は通学路として認められておらず、逆に通ってはいけない道だそうである。理由はいろんな意味で「危ないから」。シスコ坂で商売する者として非常に遺憾に思う。

シスコが閉店した2007年頃はCDに加えてダウンロードの波が押し寄せ、我社も本当に売れなかったし、そもそも新譜をアナログレコードとしてリリースするタイトル数も激減していた。渋谷のレコード店も「世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件」に書いたように2000年をピークに減少の一途を辿っていく途中だった。

レコードショップ・シスコは1990年代から2000年代前半にかけて宇田川町の3大レコード店の一つだった。3店舗の中では一番業歴も古くブルーのショッピングバッグはその中では洗練された老舗の感じがして際立っていた。

1号店は渋谷西武と池袋西武に同時オープンだった

そんなレコードショップ・シスコの1号店はなんと、1970年に渋谷西武地下1階と池袋西武6階に同日に開店していた。その後1976年に現在我がフェイスレコード渋谷店(宇田川町)が入居する新東京ビルの現在カフェが入居する場所に移転された。その後、1983年に向かいの第2柳光ビルに移転し、宇田川町にも複数店舗展開し、新宿、上野、札幌や大阪などにも出店され、国内でも有数の輸入盤店として繁栄した。海外のミュージックシーンに精通したバイヤーが多数在籍していた。

当初は欧米のロックとジャズの専門店だった。その後、クラッシック店やLOUD MUSIC SHOP、CISCO REGGAE店、HOUSE店、そしてTECHNO店などジャンルも細分化され、ダンスミュージックのレコードの割合が増えていった。
1988年にいち早くCD専門店「CISCO CD」もオープンさせ、その後FRISCOという屋号に変え宇田川町で大型CD専門店も展開していたが、廃業当時にはCD専門店は存在していなかった。

クリエイターと富豪により作られたレコード店?

そんな70年代から渋谷の音楽カルチャーの中心的存在であった重要なレコード店の創業者が全く謎だった。誰に聞いても知らないと言われた。宇田川町を代表していたマンハッタンレコードやDMRの2店舗は経営者が創業された方で業界でも有名人であったが、そんな超名店にも関わらずシスコレコードは創業者が全くわからなかった。

そんな長年に渡る謎を調べてみると、非常に興味深い歴史がわかってきた。

シスコレコードのはじまりは西武グループの「若者向け戦略」の一環だった

西武百貨店や当時同グループだったパルコは、戦後生まれの「団塊の世代」の若者をターゲットにした西武グループの戦略の一環で、1969年11月の池袋パルコの出店を皮切りに若者への訴求を深めていた。そんな中、当時、社長命令で中根憲一氏をリーダーとした若手の社内プロジェクト・チーム「ヤング衣料開発委員会」が池袋西武と渋谷西武に若者向けの販売戦略で「Be-in」が企画され1970年9月に池袋西武6階と渋谷西武地下1階に開店した。「Be-in」とは当時隆盛を極めていた「ヒッピー」の集会を意味する「Human Be-In」のBe-inを模して名付けられたと思われる。Be-inのコンセプトは「女の子」「ファッション」「レコード」「遊び」だった。最先端の若者向けの衣料品が販売され、インテリアには菊池武夫や山本寛斎の作品がふんだんに使われた。情報交換の場としてスナック「験」も作られた。その他にも斬新なアイデアを取り入れた売場は話題になった。その中に「レコードショップ・シスコ」が作られたのだ。ヒッピーカルチャーの聖地であるサンフランシスコの日本での通称である「シスコ」から名付けたのであろうか。ちなみにアメリカではサンフランシスコを「シスコ」とはあまり言わずフリスコ(Frisco)やサンフラン(San-Fran)などの略称で呼ぶそうだ。

1970年11月号 セールスマネージャー誌記事。開店当時の池袋店。ポップに時代を感じる
販売技術1970年11月号 Be-in池袋内、レコードショップ・シスコ池袋店の紹介記事より

Be-inは池袋西武と渋谷西武の両方に作られ、その両方に「レコードショップ・シスコ」が作られた。当時の写真を雑誌「販売技術」1970年11月号の中から奇跡的に見つけることができた。さらに1970年9月25日号の週刊読売「企業の中の頭脳集団(シンク・タンク)」に詳細が記載されている。「さて、このチームが作り出した"Be-in"とはどんなものなのか。ゴテゴテ説明するよりも、東京・池袋か渋谷の西武百貨店を一度のぞけばわかることだが、ここで、その二、三を紹介してみよう。~省略~レコード店「シスコ」。レコード店といっても、歌謡曲や浪曲は置いてない。売るのは、モダン・ジャズとロックだけ。それもイギリス、アメリカでヒットしたものをその日のうちに空輪して、翌日は店頭に並べるという。」とあった。コンセプトを西武百貨店の中根憲一氏が中心となり「ヤング衣料開発委員会」が企画して「レコードショップ・シスコ」が誕生したようだ。
しかしBe-inの実店舗についてはここまでしか解明できなかった。

通販部だった?新雅株式会社ミュージックランド・コーポレーション

範・統万寿(ハン・トーマス)氏は1973年の国内の長者番付1位だった。中国で生まれ日本に帰化し中国料理の店「新雅」を新橋で経営したり様々な事業を経営し、都内に購入していた土地を売却して長者番付1位になった。奥様は関比奈子さんと言い準ミス日本代表だった。元日劇ミュージックホールの人気ダンサーだったためか、当時の週刊誌に話題の人として記事が紹介されていた。

範氏は当時、3つの会社を運営しその一つが「新雅株式会社」という不動産会社だった。新雅はもともとは中国料理の会社として始まった店を範氏が買収、繁盛店になった。後に不動産事業や他の事業を行う事業転換をした。資金は潤沢にあったのだろう。この「新雅株式会社ミュージックランド・コーポレーション」という社名がレコードショップ・シスコの通販部として1970年の年末以降の音楽雑誌の広告に登場してくる。

その奥様の比奈子夫人がレコードショップ・シスコに関与していたことがうかがえる雑誌の記事も発見した。夫人の言葉も残されている。
「自分も主人に負けずに事業をやりたいと、結婚後、国士館大学の夜間部に2年間通って経済を勉族。洋盤レコードの輸入販売を始めたが、「あまり儲からなかったので、次は伊勢の方で分譲別荘地の開発をやるつもりですの」この旦那さんが経営する新雅株式会社内の一事業部としてミュージック・ランドという事業部が比奈子夫人が経営する会社だったのであろう。


これらの経緯を時系列から見ると
1970年9月11日 渋谷西武と池袋西武 Be-inにレコードショップ・シスコ開店
1970年年末 池袋西武Be-in内シスコ閉店?(以降、池袋店の表記なし)
1970年12月 雑誌広告にシスコ通販部としてミュージックランド・コーポレーションの名前が登場
1971年1月 雑誌広告にシスコ通販部として新雅株式会社ミュージックランド・コーポレーションの名前が登場
1971年10月 広告にミュージックランド株式会社 登場
1971年8月 新雅の名前が広告から消える
1972年11月 広告にNEW CISCO 登場 (通販部?)
1972年5月1日 (株)サウンドトレーディング設立(昭和47年)
1973年5月 比奈子夫人のインタビューが週間文春に掲載
1974年 ㈱サウンドトレーディングがシスコを買収(ばるぼら氏の記事から
1976年3月20日? 渋谷店が新東京ビルへ移転
1977年5月 新宿店開店
1983年 渋谷店が第2柳光ビルに移転

その後、40代以上の方であればよく知る渋谷のレコードショップ・シスコになっていくわけだ。

音楽雑誌の広告から紐解く

1970年10月 ニュー・ミュージックマガジンのBe-inの広告。CISCOの名前はまだない。名前が決まってなかったのだろうか?この広告から西武百貨店が主導で動いていた事が想像できる。
1970年11月号 ミュージックライフ誌の広告。 池袋西武と渋谷西武be-inにシスコ開店記事
1970年11月号 ミュージックライフ誌の広告。 池袋西武と渋谷西武be-inにシスコ開店記事


1973年3月ニュー・ミュージックマガジンの広告、Be-in渋谷西武で店内での移転案内。Be-inの店内図が非常に貴重である。


1970年12月スイングジャーナル誌広告。ここでミュージック・ランド・コーポレーションの社名が登場。電話番号はどちらも西武デパートの直通電話。
1971年1月ミュージックライフ誌広告。池袋の表記が消え渋谷店のみ。通販開始が告知され問い合わせ先が新雅株式会社ミュージックランド・コーポレーションとなっている。
1971年1月スイングジャーナル誌広告。池袋の表記が消え渋谷店のみ。通販の問い合わせ先が新雅株式会社内ミュージック・ランド・コーポレーションとなっている。
1971年2月号ミュージックライフ誌 広告。「西武渋谷Be-in「シスコ」にお寄りください」とあり、電話番号は西武百貨店渋谷店の代表番号のままである。通販の問い合わせ先の表記が新雅株式会社ミュージック・ランド・コーポレーションDM係になっている。


1971年5月号のニューミュージックマガジンの広告。新雅株式会社の名前あり。ちなみにこの号に伝説の「日本語ロック論争」が掲載されている。
1974年9月ミュージックライフ広告 通販部の「新雅」の名前はもうない
1975年4月ミュージックライフの広告
1976年3月号ミュージックライフ誌広告  ROCK在庫処分バーゲン告知1976年4月号 ミュージックライフ誌 新東京ビルへ移転開店OPEN記念特別サービス 広告 1976年3月20日開店?
1978年11月号 平凡誌 CISCO 新東京ビル 店舗写真
1977年5月号 ミュージックライフ誌 新宿店開店OPEN記念サービスセール広告

ここまでシスコ坂への移転までを当時の雑誌の広告から情報を抜き出して時系列的にまとめてみたが、むしろわからないことも増えてきた・・・そもそもこのBe-inのプロジェクトでのレコードショップ・シスコのコンセプトは誰が発案したのだろうか?範夫妻が賛同して出資したのだろうか?広告に西武のロゴを使用したり渋谷西武の代表番号が店の番号だったとすると西武百貨店が経営していたのだろうか?そして新雅株式会社は通販だけ請け負っていたのか、など謎は深まるばかりだ・・・当時の事を詳しく知る方がいらっしゃったら是非ご教示頂ければ幸いである。

おわりに

色々調べてここまではわかったが、シスコレコードというネーミングの由来や本当の発案者までは辿り着けなかった。
しかし、レコードショップ・シスコは、当時話題の富豪と最先端のクリエイター集団が、先見の明を持って始めたレコード店ということがわかった。
そして西武百貨店が「若者文化を育む」というスタンスから「長髪の若者が好んで聴くような音楽」の輸入レコード店を百貨店内に導入したのは、当時として非常に画期的であり、英断だったのではないだろうか。その後のセゾン文化の先駆けであったことも間違いない。そして、西武百貨店の英断があったからこそ、現代の渋谷系音楽が生まれる基盤が築かれたのも間違いない。

最後に、奇跡的に見つかった池袋西武にあった幻の「レコードショップ・シスコ池袋店」の写真のエサ箱に写り込んだレコードから当時の雰囲気がひしひしと伝わってきた...
現在、年代から逆算すると54年前の1970年のシスコで買い物していた方々は70歳以上であることは間違いない。そして当時の大卒の初任給が60,000円台の時代に輸入盤の価格は日本盤より安価だったとは言え1800-2000円であり、当時のレコードはまだ高級品だった。そんなレコードを求めてできたばかりの最新の輸入盤店に通った方々は、どんな人たちだったのだろうかと、思いを馳せた。
さらに…この写真の中に写り込んだBrian Auger / Definitely What!とGrady Tate ‎/ Windmills Of My Mindを見つけた時に、本当に「音楽は巡る」ということを改めて実感した。リアルタイムで新譜としてシスコで輸入されていた証明でもあるが、実はこのレコードは30年前の90年代のAcid Jazz〜フリーソウル時代の人気盤であり、当店でもかなりの枚数をアメリカで買い付けて販売してきたレコードだった。

Music Go Round
このような偶然の発見と再会が、レコードの持つ不思議な繋がりとその輪が絶えず広がっていることを実感させる。

そして、この時、この場所で売られていたレコードを思い出と共に買い取りさせて頂き、次の世代の音楽ファンに確実につなげる役目を果たしたいとつくづく思った。


宜しければ今回に合わせて作ったプレイリストお聞きください。Brian Auger とGrady Tateのそのアルバムから当時の人気曲を入れました。

レコードの販売・買取を行っております。よろしければ是非ご相談ください!(NOTEを見たと一言書いて頂けますと幸いです)



*シスコレコード、レコードショップ CISCO、CISCO RECORDS、レコードショップ CISCOなど色々ありますが今回は「レコードショップ・シスコ」で統一しました。

参考サイト
bxjp CSV渋谷について知ってることすべて 2018年4月18日
https://note.com/bxjp/n/nf1cc9ddf0710

はる坊の雑記 2018/4/10
https://harubou-room.com/1972king/

柳光ビルのオーナー夫人のインタビュー
宇田川町で半世紀「シスコ坂」の生みの親 柳光商事 一柳弘子さん


参考資料
1970年11月号 販売技術
1973年5月週刊文春
1970年9月25日号 週刊読売
1970年11月号 ミュージックライフ
1970年12月スイングジャーナル
1970年11月号 セールスマネージャー
1978年11月号 平凡


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