エロ漫画の歴史 50年代の漫画誌・作家群(第二回)

こんにちは 去勢されたネカフェ難民のシンイチです
今回も エロ漫画の歴史について振り返っていこうと思います
普段はニコ動やようつべにこんな感じの内容の動画を投稿しています
そちらもチェックしていただけると嬉しいです
それでは早速参ります


週刊漫画Times

56年 日本初の週刊漫画雑誌「週刊漫画Times」創刊
「漫画読本」のコマもの(数コマで完結する漫画)とは違い 
ストーリーもの(4コマ漫画とかじゃない漫画)を多数掲載
「ダンプヒップバンプ」の森哲夫先生や
「アンパンマン」のやなせたかし先生なども
筆を握りました


歌川大雅

そんな同誌の中でも エロティックな表現で人気があったのが 
歌川大雅先生の時代劇絵物語(小説と漫画の中間みたいなやつ)です
歌川先生はその後 60年代にはハードボイルド作品 
70年代に入ると スピリチュアル・オカルト系に目覚め
なんとか密教みたいな本を出したりします


松下井知夫

松本井知夫先生は 当時1話完結が主流だった時代の
大人向けストーリー漫画の最初の成功例です
手塚先生の「人間ども集まれ」にも 影響を与えます

魔神モセス


小島功

「世界一の流麗な曲線」の異名を持つ 小島功先生も
この頃筆を握っていました
56年 アサヒ芸能連載の「仙人部落」は 
63年(アトムと同じ年)にアニメ化され
日本、そして世界最初の深夜アニメとなります
その後も「11PM」や 黄桜のカッパのイラストなど
多方面で活躍されました

小島功美人画集


50年代中頃からの週刊誌ブーム/大人向けの漫画誌ブームは 
記事やグラビアの感じが大雑把に言って
大手出版社が手がける 上品なものと
中小出版社が生み出す 通俗娯楽もの・わい雑なものとに
分岐していきます


土曜漫画

1957年 創刊の「土曜漫画」は
扇情的なイラストから徐々に即物的なヌードグラビアを掲載していくように
当時 こうした実用性を求めたイラストは 写真の代用で
漫画が写真以上のエロティシズムを持つとは 
当時多くの人が考えていなかったでしょう

また この頃の漫画においては 
海外コミックなどに多い 写実的なイラストは 
洗練された独自のスタイルを持たないということで異端とされたようです
これは19世紀に 写真が発明されて以降 画家・作家たちが
写真では撮れないような絵を描こうと様々な運動をした名残ですね

土曜漫画(土曜出版社)


漫画サンデー

1959年 「漫画サンデー」が創刊
後に「静かなるドン」や 土山しげる先生の作品を多く掲載する漫画誌です
小島先生の表紙で ナンセンスコマもの中心に 紙面は作られていました
ここでのナンセンスとは ギャグのことであり まだまだ上品な方で
谷岡ヤスジ先生や 富永一郎先生などの下品さは
一般には受け入れずらい時代だったのです

漫画サンデー創刊号(実業之日本社)


その他の漫画雑誌

60年 「漫画天国」「漫画ストーリー」
62年には 「漫画芸能」「漫画文芸」「漫画アサヒ」「漫画エース」
週刊、月刊、隔刊と形態はさまざまですが
どれも「漫画サンデー」や「週刊漫画times」を真似した作りでした 
このように50年代末から60年代初頭にかけては 
大人漫画雑誌の創刊ブームがおこったのです


1959年

1959年は 漫画史におけるあらゆる事態が同時多発的に起こった
3月17日付けで 「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」が創刊され
当時若かった さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロなどの先生方が
「劇画工房」を創設し
その中心メンバーの一人であった 
佐藤まさあき先生が 再び過激化した悪書追放運動の槍玉に挙げられ
一時完全に仕事を失う事態に至るなど 激動の時代でした
週刊少年漫画誌の始まり、劇画の台頭、悪書追放運動が 
同時に押し寄せたのです

次回は 海外コミックの影響を受けた 
50年代後半から 60年代初頭の漫画を見ていきたいと思います
それでは ご覧いただきありがとうございました

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