リンク薬局ができるまで (12)

【自由】


1月末で勤めていた会社を退職し、僕は自分の仕事に専念した。

カフェでのパソコン仕事に憧れていた僕は
2月に入ってすぐ、まずは小さなノートパソコンを購入した。

大きなイベントとしては、2月22日に控えている保健所の検査だ。

その検査をクリアしないことには、薬局の開設許可が下りない。

それまでに分包機や薬品棚の納品を済ませておく必要があった。

5万円程する調剤業務でこの先も使うことはないであろう検査のためのグッズも揃えた。
全ては検査のためだ。

インターネットで最新の情報が検索できるので、
調剤報酬改訂を控えていたこともあり書籍は最低限にした。

これだけの時間を自分のためだけに使うのはいつ以来だろうか?

学生時代だろうか?

感覚的にはこれからみら選択できる大学受験で浪人した頃が一番近いかもしれない。

自分が働きたいと思えば働き、寝たいと思えば寝る。

コンビニに行きたければコンビニに行くし、
スタバに行きたければスタバに行く。

暗く長いトンネルから抜け出したように、僕の視界は広がった。

自由だった。


【ドブ板営業】


手に入れた自由と引き替えに、僕は売り上げを失った。

スケジュールとしては3月1日に保健所から薬局の開設許可は下りるが、
4月1日まで近畿厚生局の保険指定は下りない。

つまり、4月1日までリンク薬局は処方箋調剤ができない。

システム的にも巧みで、管理薬剤師は自分が管理する薬局以外で薬剤師として働くことができない。

要するに、どうやっても支出が上回る状態になる。

それも想定内だ。

というか、どこの薬局だって開局間際はそんなものだ。

事業計画にも織り込み済みだ。

大丈夫。

会社の通帳の預金残高を見て焦る気持ちもゼロではなかったが(だいぶあったが…)、

「スタートアップって大変なのね」

と、どこか他人事のように思いながら心を落ち着かせていた。

保健所の検査の準備は順調に進んでいる。

今、僕にできることは営業だ。

僕は開局エリアにおいて、全くの無名だった。

誰も僕のことを知らない。
もちろん、リンク薬局のことも誰も知らない。

4月1日に保険指定を受けたら、
すぐに処方箋調剤ができるよう営業をかけておこう。

僕は1つだけ縛りを作った。

それは

「ドクターに営業に行かない」

ということ。

きっと致命的に思えるだろう。

僕はお医者さんが苦手だった。

正確に言うと、
処方箋を発行するドクターとその処方箋を受け取る薬局、という関係が苦手だった。

心配した卸が3件程、在宅に力を入れているドクターを紹介してくれた。

同行までしてくれた。

ドクターに営業をしたのはそれっきりだ。

それに、だいたいのクリニックには門前薬局がついている。

競合とはいえ、そこからお客さんを取りに行くのはスマートでないと思った。

セオリー通りに行こう。

地域包括ケアシステムに従って、
薬局から近いケアマネさんの事業所と訪看ステーションにドブ板営業だ。

本当にドブ板営業だ。

名刺だけ持ってひたすら挨拶回りをした。

珍しいものを見るように興味を持ってくれた方もいた。

勉強会の案内をくれた訪看さんもいた。

朝のケアマネさんの朝礼で勉強会をさせてもらったこともあった。

4月1日に患者さんを確保した状態で始められるよう僕は準備した。


【保健所の検査】


「本当に一人でやるんですね…門前も施設もなしで…」

保健所から来た担当者が心配そうに言った。

保健所と言えば公務員で上から目線でガンガン攻めてくるイメージだったが、
豊中の保健所の担当者は違った。

申請書の提出の時から親身になって相談に乗ってくれて、
近隣の薬局のやり方なんかも教えてくれた。

落下傘的に開局しようとしていた僕には力強い味方だった。

以前も調剤薬局だったため構造上に問題があるはずもなく、
保健所としても許可を出しやすかったとは思う。

「稲田さんのやろうとしてることは確かに国の求める理想的な薬局だと思います。
でも、あまりに無謀過ぎます」

何を今更…、と僕は内心で思いながらも、心配してくれる保健所の担当者に感謝した。

3月1日、リンク薬局の開設許可は下りた。



続く


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