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使われなかった文房具

引越しで荷造りしたときに思ったのだが、まぁ文房具の多いこと多いこと。自分は文房具は「コレじゃないとダメ!」というふうにこだわりを持っていて、シャーペンの芯も決まったのじゃないとダメなんですよ。ノートもそうで罫線の幅もaaミリでとか決まっているんです。

だからあまり色々買わないし、したがって手持ちの文房具がそんなに増えることは無い。と、思っていた。

最初の2ページだけ何か走り書きして、そのまま引き出しの奥に放置されていたノート。 いつどこで買ったのか分からないボールペン(おそらく必要に駆られて買った)。 一度も使ってないであろう消しゴム。 これまたよく分からないことが、これまた数ページ走り書きされて放置されてあるメモ帳。 使いかけの付箋。 もう持ってない万年筆の替えのインク。
とかとかとか...。

これらが、永久凍土の中でその頃のまま綺麗に残るミイラのように眠っている。そういったものが幾つも幾つも見つかった。

これらはこの間ずっと、命半ばで放置されて眠っていた訳だ。気の毒だ。申し訳ない気持ちでいっぱいであり、なんとか活用できないか考える。

だけど当然、そんな活用の道はない。だって必要十分なものは揃っているから。なので申し訳ないが捨てざるを得ない。

これらは僕の思考の欠片といえる。

ある道を歩んではもういいやと捨て、またある道を歩んでは捨て。そういったツケの清算を今回した(ような)気分だ。だからなんだ?という話なんだけど。

多分この悪癖は治らないけど、治ったらそれはもう最初からあきらめているという訳だし。清算して、またこの欠片が積もっていくんじゃないか?それもまたいいじゃないですか。

回り道のない人生なんて無いのだから。自己弁護が過ぎるだろうか。

エコとかそういった世間の流れとは、正反対のことをしていますね。

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