youngtree press復刊を目指して
本屋の経営や、第一作目の映画を作る前に作っていたものがyoungtree pressという出版物だった。西洋の写真家に憧れて留学したのは、田舎で手に入る洋雑誌からの少ない情報と残りを想像力で補うことで夢を膨らませることができたからかもしれない。アメリカ留学中、そして卒業後とアメリカ滞在中はアメリカの出版物を読むことが多かった。まだインターネットがそれほど広まっていなかった90年代の頃だ。アメリカから戻って、東京で写真家として撮影の仕事を始めた頃、アメリカで読んでいたような雑誌を作りたかった。日本にはなかったからだと思う。
その当時は雑誌や写真集そのものが情報のかたまりで、それらの物としての価値など考えたことなどなかった。今思うと若かりし頃のアメリカ滞在中で間違いなく手に入れたのはアメリカ的考え方や精神性のようなものだったと思う。その精神性を日本に戻ってきてから、うまく薄めてアダプトさせることで仕事を始めることができた。そしてその頃始めたのがyoungtree pressだ。実際作ってみると、それは日本にもなかったがアメリカでもなかったものに仕上がった。いい意味で悪い意味でもオリジナルなものとして仕上がったと思う。
それは一般の人々から人生談を直接本人たちにストーリーテリングしてもらい、実際彼らが撮った写真を添えて記事にし、コレクションしていくというプロジェクトだ。その中で一番現代的手法だと信じていたのが、本人たちが撮った写真があるということだった。写真が確固としたエビデンスになる時代だった。彼らが作った彼ら自身の物語は写真によってより信じられるものとなった。それはまだ写真の大規模なデジタル化の直前の時期だった。
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若木信吾の「つかずはなれず」写真講座
写真家の若木信吾です。 写真に関するあれこれです。写真家たちのインタビューや、ちょっとした技術的なこと、僕の周辺で起こっていること、それら…
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