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写真集とストーリーテリング

 Youngtree Diary #2がまもなく完成します 。前回に引き続き、15人の執筆者による日記を時系列にならべたものです。今回はさらに文字分量が増え、ほとんど読み物の作りになってしまいましたが、日記自体もとてもいいものになってます。

 写真家なのに、これほど文字ばかりの本を作っているのも不思議なのだが、言葉という伝達方法に憧れを持っているからかもしれない。自分が写真を主に使ったビジュアルコミュニケーションを得意とするので、言葉は第二ヶ国語のような感覚だ。言葉が得意とするものにストーリーテリングがある。フィクションはもちろんのこと、ドキュメンタリーや、ニュースにおいても、どのように物語るかによって、人の興味を惹きつけられるかが変化する。例えば動物のドキュメンタリーなどを見るとよくわかる。主人公となる動物をたて、その物語を見るものは、主人公が獲物を捕まえる行為をみてよろこびを感じ、仲間が食べられる行為を見て悲しみを感じる。時には何百キロも離れた場所に子供のために獲物の狩りに出かけたり、その動きを旅とみなし、食料を持って旅から帰ってきた親を迎える子どたちの姿で感動をさせたりする。それがストーリーテリングの方法のひとつだ。

 サイレント映画が発明された時、そのストーリーテリングはこれまでの言葉という方法に対して力強い衝撃を与えたように思えたが、しかしそれは脚本という、言葉を使った事前の構成によって物語られていた。それでも編集中に見つけた動画同志の画像やタイミングの繋がりにより、言葉よりも早く感覚的かつ具体的に話を伝えられること知った時代だった。

 ところが写真集というものは映画のようにはいかず、独自のストーリーテリングの方法を身につけていった。それは物語の曖昧さといってもいい、断続的なイメージの提示による方法だ。

 一つの決まったストーリーなど無いかのように見せながら、読後に何か全体感を把握できたように感じさせるのは写真集独特のものだ。写真一枚、一枚から発見することはバラエティに飛んでいる(一枚の写真がもたらす情報量は写真家が伝えようとしているイメージを超えていることが多々ある)が、写真集全体から伝わるテーマ性というべきか、固まりが表現する一貫性というものはある。むしろ全体で伝えようとするのが意図だともいっていい。 

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写真家の若木信吾です。 写真に関するあれこれです。写真家たちのインタビューや、ちょっとした技術的なこと、僕の周辺で起こっていること、それら…

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