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前略⑨

初めてそうやって一夜を過ごしてからというもの、みどりと私は一気に親しくなっていった。みどりは変わらず歌舞伎町のコマ劇場の裏手にエジンバラでアルバイトを続けていたし、一方の私はと言えば、葵さんと会わなくなったこともあって、エジンバラからは遠ざかっていた。一人で行ってみようかとも思ったが、みどりの手前、気恥ずかしくて、やめた。

それはある意味、お互いのプライベートの時間や空間に干渉しすぎないようにしようとするような、初々しい遠慮と気恥ずかしさの表れだったのかもしれない。急激に距離を縮めすぎてしまうことに、ぼんやりとした不安や恐れを抱いていたのだろう。

今にして思えば、あの頃の私たちはなんだかんだ言っても、まだ拙い恋愛しかできない少年少女だった。いや、みどりがそうだったとは言えない。私に言えることはただ一つ、私自身が未熟だった、ということだけだ。そしてそれは、おそらく今も。

あの頃、葵さんとの関係のおかげで、同年代の友人と比べて、自分では大人びていると錯覚している節があったが、それは結局のところ、虎の威を借る狐、他人の後光を間借りする坊主、といったところで、青臭い大学生の、結局は陳腐な虚栄心の表れに過ぎないのだった。

ただ、葵さんと過ごす機会が多かったおかげで、どんな時も、女性と一緒にいることへの気恥ずかしさはなかった。おそらく、そのおかげで、大学入学のために上京して以来、知り合った女性と懇ろな関係になることもなくはなかった。

いや、正直に言えば、決して多くはなかっただろうが、少ないとも言えないくらいには、女性との関係を持った。もちろん、私はみどりと交際するまでの二年間はずっと、葵さんに片思いしていたから、誰とも付き合うことはなかったのだけれど。

もちろん、そういう関係の女性が何人かいることを、葵さんには決して知られないように気をつけてはいたが、同時に、自分にもそれなりの魅力があるということを、葵さんにアピールしたい気持ちもあった。とはいえ、結論から言うと、体を重ねるだけの関係の女性が何人いるとアピールしたところで、軽蔑されることはあったとしても、それで葵さんが私になびいてくれる、というようなことはきっとなかっただろう。なにせ、私が知らなかっただけで、彼女には、もうすでに恋人がいたのだから。


つまり、私が大学に入学してからの二年間、彼女との距離が、故郷にいた頃よりもはるかに、しかもある種の生々しさをともなって近くなったことは確かだったが、結局のところ、私は単に失恋をしたというだけの話なのだ。

何度もお茶をし、何度も食事を共にした。それだけではない。何度か、私と葵さんは互いの家を訪ねて料理を作って食べもした。しかしやはり結局のところ、葵さんは私のことを、文字通り、弟のように可愛がってくれていただけだったのだ。

だから、葵さんに彼氏がいると聞かされてからは、まさに文字通り、やり場のないやるせなさに駆られ、ほとんど自暴自棄な気分で日々をやり過ごすようになった。

つまり、有り体に書くならば、それまでに関係を持っていた女性たちと、より頻度を増して会うようになったのだ。
それも、それまでは私の方から彼女たちに連絡することはほとんどなかったのが、気が狂ったのではないかと自分でも笑いたくなるほどに、こちらから連絡をするようになっていた。

私の方からあまり連絡しなかったのは、単純に、私に彼女たちほどの財力がないからだった。飲み屋で知り合った人もいれば、道を歩いていて声をかけてきた人もいた。彼女たちはみな年上で、私はいつだって彼女たちに、こっそり葵さんの面影を重ねては空想を愉しんだりもしていた。

いつも、彼女たちにホテルや酒代を賄ってもらうことが多く、それが私には負い目で、積極的な連絡を控えることになっていたのだった。とはいえ、彼女たちも私が学生で、自由な金のないことは理解してくれていたらしい。そのせいか、私から誘ったときでも、少しも嫌な顔を見せずに、むしろ喜々として、食事も寝場所も、ときにはタクシー代も、提供してくれた。
そして、もちろん、と言うべきか、私はそうした女性たちとの肉体関係を、あのゼミの飲み会の後にみどりと肌を重ねた後にも続けていた。

これが、よくなかった。今でこそ痛感しているが、当時の私はむしろ、そうした背徳的な遊蕩に、一種の誇らしさを感じてもいたのだ。まったく、あほである。

言うまでもなく、そうした関係の数々を私はみどりに伝えはしなかった。明らかに、よくない愚行だと、理解していたからだ。しかし、私はみどりと何度か肌を重ね、甘く歯の浮くような言葉を囁きあうようになってからも、他の女性たちとの関係を絶とうとはしなかった。むしろ、みどりと会っていない時間を埋めるかのように、そうした女性たちとの逢瀬は度を増していった。まるで、空白や虚無を埋めることによって、みどりの存在をより確かに感じようとするかのように、私は切実に、彼女たちと肌を重ねようとしていた。寂しかったのだ、きっと。しかし、いったい何が?

みどりとは、肌を重ねるたびごとに、確実に親密になっていたと思う。それは彼女の言葉や表情、体の火照り具合からも感じられたし、実際、みどりもそうした言葉を発するようになっていた。しかし確実に打ち解けているという感覚だけはあるのに、その一方で、逆説的に、私はみどりとの距離が測れなくなっていくような、そんなもどかしい不安に苛まれるようになっていってもいた。

みどりは、自分のことをほとんど話してくれなかった。どんな食べ物が好きかとか、どの講義が面白いかとか、交わっているときに、どこがとろけそうかというようなことは実に雄弁に語ってくれたのだが、生まれ育った秋田の村の話や、そこから見えた山並みや日本海の話、そういったものを彼女は常にやんわりと、しかしはっきりとした意志を持って、避けた。

一方で、私はといえば、生まれ育った瀬戸内海に面した町の話はいうまでもなく、彼女も幾度となくエジンバラで見たという葵さんのこと、そしてその双子の兄であるナツ兄が、高校の英語教師だった女性と、卒業するや否や駆け落ち同然で村から飛び出したことなんかも、包み隠さず語って聞かせていた。そのような私たちの、自身の過去への態度のすれ違いは、私をひどく孤独な森の淵に追いやった。

みどりと親しくなる前よりも、よりいっそう孤独の渇きが強くなっていった。そして、だからこそ、私はほかの女性たちと、まるで何かから目を背けつづけるみたいにして、肌を重ねていった。
しかし、それは、あっけなくばれた。ばれると思っていなかった、と言えば嘘になる。みどりに、私のそうしたふしだらな関係を見破られ、責めて、なじってほしかった、という気持ちがあったのかもしれない。しかし、私が想像していた以上に、みどりは深く傷ついたようだった。この時のことを思い出すと、今でも胸が痛くなる。

その日は、朝までみどりの部屋で夜通し肌を重ねていた。お互いに授業は午後だけだったから、明け方にようやく眠りにつき、昼前に一緒に大学に行った。別々の講義に出て、彼女はそのあとアルバイトに行くというので、私は図書館で少し時間を潰してから、四歳年上のコンサルタント会社に勤めているという女性と、新宿の西口の居酒屋に行った。

彼女の仕事の愚痴を聞きながら適当な酒と適当な料理をつまんでいるうちに、私も酔いが回りかけ、彼女のほうはすっかり目がとろんとしてきた。店を出て、タクシーが捕まらなかったので、仕方なく、ホテル街まで歩くことになった。

彼女はよほど疲れているのか、それともよほどストレスが溜まっていたのか、それほど酔っていたわけでもないだろうに、胸を押し付けるような格好で腕を組んできた。私には当然拒む理由もなかったし、むしろ嬉しくなって彼女のスーツ越しの体温を感じながら歩いていた。

彼女に促されるままに飲んだせいもあってか、歩くたびに頭の奥が熱くなって、思考がぼんやりとしていた。
エジンバラの前の通りに差しかかったときも、私は深く考えることなく、彼女の肩を抱くような恰好で歩きつづけていた。エジンバラのすぐ先の、小さな交差点を渡った先が、私たちの目指していたホテル街の入り口だった。私も彼女も、ホテル街に近づくにつれて気分が昂っていたのだろう、ふと視線が合った拍子に、どちらからともなくキスをしてしまった。
そこを、たまたま店先に出てきたバイト中のみどりに目撃されてしまったのだった。


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