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前略⑧

みどりと付き合うようになるまで、時間はかからなかった。
ゼミの飲み会がお開きになると、みどりと私は二人だけで二次会に流れた。
新宿の飲み屋街から、甲州街道を通って三丁目の方に向かっていた。みどりは店を出ると、意外としっかりとした足取りだった。私が思っていたより先に強いらしい。四月の夜風は、まだいくぶん肌寒かった。

みどりは両腕を心もとなくさすっていたが、信号を渡り、駅の南口の前を通り過ぎると、並んで歩く私を見上げ、肩を寄せてきた。かすかな甘さの漂う夜風と、みどりの髪の匂いが心地よかった。

「ね、ちょっと寒いね」
みどりは両腕を私の右腕に絡ませると、じゃれるように身体をくっつけた。
「まっすぐ歩きなよ」
「だって寒いんだもん。ね、どこ行こっか」
「エジンバラ?」
と私が言うと、彼女はふふ、と愉快そうに笑った。

当たり前だが、こうして肩を寄せで歩くみどりの横顔に見覚えがあるかと言われれば、あるとは答えがたかった。しかし改めて思えば、彼女の顔にはどこか見覚えがあった気がしたのも事実だった。

エジンバラのような明るいところで改めて彼女を眺めてみたい気がしたが、同時にこのままネオンに照らされた道をどこまでも二人で歩いて行きたいような不思議な想いにとらわれていた。

「いや。店長もいるし、わたしが一緒に行ったら、どう思われるかわからないもの」
「いいじゃん。行けば、俺もみどりさんをエジンバラで見てたこと、思い出すかもしれない」
「じゃあ思い出さなくていいよ」

他愛もない軽口で、私たちは笑いあった。手をつないだまま、ゆっくりと歩いて、末広通りの飲み屋に入った。
とはいえ、すでにゼミの飲み会でみどりも私も、しこたま日本酒をくらっていたから、酒はあまり進まなかった。それで二杯ほど飲むと、どちらからともなく店を出ようということになった。

外はまた少し肌寒くなっていた。
「ナギサくん、まだ食べられる人? わたしもうおなかいっぱい」
「俺もだな」
「ほんと。ね、次はもうちょっとくつろげるところがいいね。ガヤガヤしてると疲れちゃう」
「そうだね。ゴールデン街でも行く?」
「いいよ。私、ナギサくんの話聞きたいから、静かなとこにしようよ」
靖国通りを渡って、花園神社の近くまで来ると、一気に人通りが少なくなった。

歩きながらどんな話をしたのかはあまり覚えていなかったが、この夜、結局私たちはゴールデン街で三軒目を探すことはなかった。花園神社とゴールデン街の間の路地を抜けると、歌舞伎町の裏手にあるラブホテルに入ったのだ。

お互いに、それほど酔っていたわけでもなかった。しかし、むしろあまり酔っていないがゆえに、みどりと私は、暗黙のうちに探り合い、しれっとゴールデン街を素通りし、ホテル街を目指したのだった。

ホテルの無人のフロントで、客室パネルを前にして、私は手をつないだまま隣に並んで立つみどりを見た。彼女は妙に真剣に部屋のパネルを見比べていて、それが無性に可愛く感じられた。私の視線に気づいて、みどりがつないだ手のひらを親指で撫でてきた。

「くすぐったいよ」
「ナギサくん、どの部屋にする?」
「どれでもいいよ。みどりさんの好きなので」
彼女はもう一度部屋のパネルを見渡し、黒と白を基調にしたシックな部屋のボタンを押した。私たちがエレベーターに乗ったところで、エントランスの自動ドアが開いた。その音に反応したみたいに、みどりは「閉」のボタンを押した。その拍子に私たちの距離がぐっと詰まった。

部屋に入ってすぐ、私たちはベッドになだれ込んだ。エレベーターの中で私を見上げるみどりの瞳は、すでに熱そうにうるんでいて、それに誘われるようにして私はキスをし、身体の中が一秒ごとに火照っていくのにせかされるように、廊下を進み、部屋に入ったところで、今度は長いキスをした。

じれったい想いでベッドに倒れこむと、今度はみどりの方からキスをしてきた。一秒ごとに私たちの呼吸は乱れていった。
「ね、日本酒の味するね」
みどりが、キスの合間にそう言って笑った。ベッドボードのパネルで部屋の照明を暗くすると、みどりは私の胸元に顔を寄せて囁いた。
「あのね、実はわたし、こういうところ来るの、初めてなの」
「俺もだよ」
と私は口からでまかせの嘘をついて、彼女の髪を撫でた。

「先にシャワーしなくて平気?」
「みどりさんは?」
「任せる」
「じゃあ、あとにする」
「うん」
長い時間をかけて私たちは肌を交わらせた。途中、みどりの声がからからにかすれきったので、ペットボトルの水を枕元に置いて、キスの合間に何度も口移しで、水を飲ませあった。

最後までやり終えると、深い安堵のような幸福感が突き上げてきた。くたくたに満ち足りて疲れきった私たちは、結局シャワーもせずに眠りに落ちた

翌朝、目が覚めると、ちょうどバスローブ姿でみどりが浴室から戻ってくるところだった。
「おはよう、ナギサくん。シャワー浴びておいでよ」
ベッドに腰かけたみどりにキスで促されるまま、バスルームに向かうことにした。昨夜ベッドで脱ぎ散らかしていたはずの衣服が、ソファの上にきれいにたたんでまとめられていた。

「服、ありがと。たたんでくれてる」
「うん」
全裸で振り向いたのがまずかったらしく、みどりは慌てて背を向けてしまった。

シャワーを浴びて、みどりと同じくバスローブを身に付けて部屋に戻ると、みどりは布団をかぶって寝息を立てていた。そっと隣にもぐりこむと、彼女の首元から湯上がりの甘い匂いがした。

「寝てる?」
耳元で囁くと、寝てる、とかろうじて返事があった。
「ナギサくんももう少し寝よ?」
本当に眠いらしく、みどりは抱きつくように体を寄せてきた。バスローブがはだけて、また肌と肌が触れた。私もみどりの体に腕を回すと、彼女もバスローブの下には何も着ていないのかわかった。

少し彼女の肌を撫でてはみたが、さすがに寝込みにしかけるのは嫌がられそうだと思って、どうにかこらえることにした。白くなめらかだが意外にも熱いみどりの肌の温度を感じながら寝息を聞いていると、自然と眠気がこみ上げてきた。

小一時間ほどうたた寝してから、私たちはホテルを出た。まだ朝の九時だったので、朝食を食べに行こうと、並んで新宿駅と歩いた。
「そういえばみどりって、どこ出身?」
ついさっきまであれだけ肌を重ねていたというのに、みどりは急に恥ずかしそうにはにかんだ。

「秋田」
「へぇ。そういえば肌も白くて綺麗だよね」
「ね、もしかして、私、訛ってた?」
「今は全然」
「じゃなくて昨日。ほら、ベッドにいるとき」
と、みどりはごくごくな控えめな口調で、ぎこちない笑みを浮かべていた。とはいえ、訛るも何も、最中の彼女の言葉は、むしろあられもない嬌声と言うべきでもあったから、これには私のほうがはにかんでしまった。

「まあ、なんとなく」
「最悪。気をつけてたのに」
「なんで。かわいいよ」
「うるさいなあ。ナギサくんは全然方言出てないくせに」
それからも、普段はほとんど完璧に標準語を使うみどりだったが、訛りが出るのが嫌だと言って、肌を重ねて取り繕う余裕がなくなってくると、途端に口をつぐむようになった。しかもそれが彼女にとっては余計に羞恥心を昂らせるらしく、何か言いたげなまなざしを私に注ぐばかりで、いっそうもどかしそうに声をもらしては、私が問いかけても切羽詰まったように笑みをのぞかせるばかりで、かたくなに声というか、言葉を返してくれなかった。

ただ、みどりも私も、ある種のディスコミュニケーションを快楽の一環として面白がってもいた。
とにもかくにも、私はそういういじらしい一面をもひそかに持っているみどりのことが、あっという間に好きになっていった。


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