「大丈夫、見ているからいつも。」に救われる瞬間【2】
ある日、さとこは授業終わりのさとしをカフェに呼び出した。
「ねぇ、最近の観察日記って誰のために書いているの?なんだか過激になっているけど…私、本当にハムスターが好きで、そんなハムスターのことを嬉しそうに話すさとしくんとの時間が何よりも幸せだったの。」
さとしは、さとこの言葉を書き消すように言葉をかぶせた。
「じゃあ別れようよ。俺、そんな面倒な関係は求めてないし。」
さとこは予想通りの返答に少しだけうつむき…顔を上げて伝えた。
「分かった。ごめんね。でも…これだけは約束して欲しいの。ハムスター、一緒に飼ってたわけだし大切にしてあげてね。」
さとしは間髪入れずに返事をした。
「もちろん。今日も日記を待っている人が沢山いるし家に戻ったらさっそく書くつもりだし。」
「そうじゃなくて…。」
と喉まで出かけた言葉を押し殺して、さとこは注文したホットミルクティーを飲み干した。席を立ち、
「じゃあね。」
と、さとしに言い残してカフェを出ようとした時、目が合った赤ちゃんがこっちをずっと見ているのに気が付いた。
ニコッとさとこは笑ったが、赤ちゃんは無反応でこちらを見ているだけだった。
(笑顔…作れてなかったかな。)
カフェを出るとさっきまでの蟠りが嘘のように無くなっていたことに気が付いた。今ならあの赤ちゃんを笑顔に出来るかな。そんなことを考えながらさとこは駅まで歩いた。
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さとしの観察日記はアクセス数が減少していた。
・ハムスターの毛を燃やしてみた結果。
・ハムスターとファミレスに行くと無料になる!?
・宿泊先の餌でハムスターが重傷だと伝えると、大体タダになる。
など過激な日記をアップするものの、コメントも増えることなくアクセスもどんどん減る一方だ。
次第に日記を書く意欲も失われて、毎日更新していた日記は授業の忙しさ、アルバイトを言い訳に頻度を減らした。ついには、どうせ誰も見ないだろう。と1ヵ月以上書くのをやめてしまった。
それでもさとしはハムスターが好きだった。でも以前の好きと何かが違うと、違和感を感じるようになったのは日記を書くのをやめてからだった。
ハムスターと向き合う時間が多くなり、表情や寝ている姿、餌を食べる瞬間など何かこちらからアクションを起こさずとも、これだけハムスターには素晴らしい魅力があることに改めて気が付いたのだ。
さとしは周りを気にすることより自分がもっとハムスターと向き合い、もっともっと好きになることが大事じゃないかと感じていた。
それは少し間違った方向へと向かったハムスターへの気持ちを削除せず、好きという想いの上書きをして改めて更新した瞬間だった。
それからのさとしはハムスターとの時間が恋しくて仕方ないという原動力を武器に、授業やアルバイトも集中して取り組み生活が満たされていた。
ただ…さとしは悩んでいた。
観察日記をもう一度書こうかどうか。悩みは書くことではなく、違うところにあった。
もし、日記を書き始めてアクセスが増えてきたその時、ちゃんと自分は自制心を保つことが出来るだろうか。また、周りの目を気にしてしまうんじゃないか。
周りの目を意識して、過激なことをしようと欲が出てくるんじゃないか。注目されたいという感情が湧き出てきたとき、それを止めることが果たして出来るんだろうか。
さとしは悩んだ末にハムスターの良いところや可愛いところ、おちゃめなところなど自分の言葉で自分のために書いていこうと決めた。
日記を書いた翌朝、アクセス数をチェックしてみるとわずかな反応しかなかった。嬉しいような寂しいような複雑な心境に一瞬陥ったが、
「誰のためでもない。自分のために書いているんだ。」
と小声でつぶやきながら、ハムスターに朝の挨拶を済ませて大学へと向かった。
帰宅していつものようにハムスターのチェックをしながら夕飯を食べ、お風呂に入り布団の中で日記を書く前にアクセス数をチェックしてみたが…やはり伸びていなかった。
ただ「新着コメント1件」と赤い文字が表示されていたのでクリックした。
「日記、再開したんですね。ずっと見ていましたが今の方が良いですよ。愛が伝わってくるっていうか…がんばってください。大丈夫、見ているからいつも。」
何度もコメントを読み返しながら、さとしは何かに気が付き思わず上半身を起こして言葉を漏らした。
「もしかして…あのコメントってさとこだったのかな。」
自分は誰を見ていたんだろうか。顔も名前も知らない人からのコメントやアクセスは気にするくせに、一番近くにいる大切な人を気にすること、見ることさえしようとしなかったんじゃないか。
分からないが涙が出てきた。いつも見ていたんだと、見てくれていたんだと思うと涙が止まらなかった。
最初のコメントがさとこが残してくれたものかどうか、そして今、画面に表示されているコメントがさとこが書いたかどうかも分からない。調べるつもりもない。
さとしは決めた。これからも自分のために書き続けよう。気にするのは周りの人じゃない。この日記はあくまでも自分が何を見て、どんなことをハムスターを通じて思ったか、感じたかを書く自分への日記でもあるんだと。
さとしの涙は止まった。寝ようと布団に入って目を閉じたが、もう一度何かを思い出して目を開けすぐにスマホを手に取り日記のタイトルを変えた。
「ハムスターとさとしの観察日記」
眠りについたさとしをずっと見守っていたかのように、夜行性であるハムスターはさとしと同じように丸まり眠りについた。
【終わり】
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