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空の境|2022年3月17日の日記

 空一面にうす曇が広がって爽やかなパステルブルーをみせている。「みえないけどお空いっぱいに雲がひろがってるんだよ」「どこどこ?」などと話しながら娘を園に送りとどけ、それから染井霊園に読書に向かう。途中、ご老人一団がそろって樹の梢に目をやっていた。そのまま通り過ぎてしまったが、ヒバリかメジロらしきさえずりが聴こえたので、その姿を求めていたのかもしれない。

 ベンチに座り一時間ほど小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』を読んでいると、急に日が陰り、風が冷たく通り抜けた。先ほどまでのうす雲(巻層雲)が下に降りてきたのか、白いおぼろ雲(高層雲)となってまだらに広がり、太陽をその背に隠している。昔は雲が消える/現れるのは風に吹かれて飛んでいくから/きたからとばかり思っていたが、大人になってのんびりと空を見上げるようになり、高度や湿度の変化でまたたく間に雲は消えたり現れたりするのだと知った。空には、ここからは雲が形をとり、ここからは形をなくすという見えない境がある。そんなことを思いつつぼんやり天を仰いでいると、オナガが一筋の線を引いて空を横切っていった。

 昼食を取るため一度家にもどり、スパゲッティを食べながらalife FM(岡瑞起×池上高志)に耳を傾ける。計算機を用いた科学の二つの潮流。解析系と生成系、収束する科学と発散する科学、競合による進化と共生による進化。自己が自己を作るのではなく、互いが互いを作りあうこと。collective intelligence。あるいはcollective life。

 夕飯の下拵えを終えてふたたび染井霊園に戻ると、このあいだに雲がさらに降りてきたようで、陰影のついたうね雲(層積雲)が重たく空に垂れこめていた。朝よりも少し肌寒くなり、ダウンコートを着たり脱いだりしていると、いつも野鳥観察をしている院生が今日はめずらしく真面目な格好をしてやってくる。無事修士を終えて式を終えてきたと、野鳥愛好家のグループにそう告げて、野鳥情報の交換を終えると素早く去っていった。飲み会に向かうらしい。話しかける隙がなかったが、心のなかで祝辞をおくる。

 それからしばらく小泉の続きを読んでいると、何やらあたまに軽い衝撃を感じる、と同時に黒のダウンに白い筋が走る。見上げると、枝にとまったヒヨドリのつがい。どうやら片割れと語らいながらの排泄物を賜ったらしい。そのせいかは分からないが、今日は本を閉じて、すこしはやめに娘を迎えにいこうという気分になる。夕飯までの一時間半ほど、二人で街を駆けまわる。

 夕飯後、遊びつかれたこともあり娘がお風呂に入りたがらなかったので、妻に先に入ってもらい、浴槽に浮かべるヨモギを探しにいこうと原っぱにさそう。途中、大粒の雨がぽつり、ぽつりと落ちてきた。朝は地上一万メートル近くの高度に漂っていた水の分子が、半日をかけてゆっくりと空を降りてきて、今雨粒となりこの掌を打ったのだと思うと、何やら感慨深い思いがこみ上げてきた。そんなことはつゆ知らず、娘は「あめ、あめ」といって喜んでいる。僕と妻と娘、三人分のヨモギを摘んだ娘は、家に戻ると嬉しそうに浴室に向かった。


 ウクライナ危機。ゼレンスキー大統領が米国に支援要請するにあたり真珠湾の過去を引き合いに出したことで、これまで、民主主義国家の「国民」ならばウクライナの「徹底抗戦」を応援するのは「当たり前」だと論を張っていた人の中から、掌を返すものが現れはじめる。戦時中の「当たり前」とは感情次第でいとも簡単にひっくり返るものだと改めて思う。

小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』
 ロシア視点からのものの見え方を知りたいと手にとった。その目的を果たすにあたり西側諸国の情報を鵜呑みにはできず、一方ロシアの発信する情報もあまりにプロパガンダ色が強くて素人には見極めが効かない。安全保障の専門家の言も「西側諸国の安全保障」というバイアスがかかっていることは否めない。そうした安全保障の専門家集団からも高い評価を受ける著者・小泉悠は、元一介の軍事オタクとして、まるで昆虫に魅入られた少年がその生態を調べるかのような目つきでロシアの軍事戦略を分析していく。一旦感情を抜いて冷静にロシアを見つめるにあたっては最適の一冊だったよう思う。ロシアの仕掛ける情報戦の圏内に全世界が、当然日本も巻き込まれている以上、その戦略を踏まえておくことはウクライナ危機に関する情報を精査するにあたり必須の手続きだと感じた。個人的には、ロシアの戦略ではなく思想、NATOの東方拡大をロシアの論理で捌くとどう見えるのか、ロシア国民にはプーチンの姿がどう見えているのかをもう少し詳しく知りたいところだった。軍事戦略の書籍にそれを求めるのは筋近いだが、そんな無い物ねだりもしてしまいたくなるような良書。

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