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どうやってたいようこわすの?|2022年3月4日の日記

娘をつれて、朝から千駄木の須藤公園に向かう。広場と斜面の植え込みに囲われた数十メートルほどの濁った池、真中に紅い社がたち、奥の方では小さな滝の白筋が心地よい音を立てている。夏の夜には蛙の鳴き声が暗がりにしみわたる。園内を一巡りしたあと植え込みの岩垣に座り、飯粉屋さんで買ったウインナーパンとサンドウィッチをつまむ。時計台を発見した娘が「ちっくたっく、とけいがあるね。どうやってうたうのかなぁ。うーん、ちっくり、たっくり、ちゃっくだね」と、即興で時計の歌を考案する。

 余ったこどもパンを千切って池の鯉に投げると、気付かずに通り過ぎてしまった。そのうち気付くかなと思って眺めていると、先にやってきたのは小さなモツゴ、自分の頭よりも大きなパン屑を一生懸命につついている。やがてモツゴが群れをなしてパンをつつき始めると、騒ぎに気づいた鯉がよってきて、モツゴを押しのけパンを食いさっていく。自然界では無数の小魚の群れが、大魚が餌を見つけるためのセンサーの役割を果たしているのだなと、妙に感心してしまう。自力では感じきれない世界を、他者とともに感じあっている魚たち。
 しかしこうなるとモツゴにパンをやりたくなるのが人情で、鯉のいない場所を狙って投げてやるが、方々から鯉が押し寄せてきて、巻き上げられた泥にモツゴは隠れてしまった。そのうちに娘が「はっぱあげるとうれしいよね」と、そこらの葉を池に投げ入れはじめる。大人になった僕は、葉っぱを吸った魚はすぐにそれを吐きだすと知っているが、自分も子どもの頃は同じようなことをしていたなぁ、これも荘子のいう知魚楽だろうとおもって、温かく見守ることとする。驚いた鯉が尾っぽで水面を叩くまで、結局ふたりで一、二時間は池を覗き込んでいた。30円の小さなこどもパンひとつで分かちあえた水魚の楽しみは、随分大きなものだったように思う。

 小学校の終わる頃になると、どんどん大きな子供たちが集まってきた。公園のいたるところに「危ないので柵を越えないで、塀を登らないで、池に近づかないで、滝に近づかないで」と注意書きが貼られていたが、まるでそれが破られるためのルールであるかのように、子供たちは柵の向こうにはみ出して鬼ごっこをしたり、塀を伝ってトイレの上に登ったり、池の中の石を飛びわたったり、滝の岩肌を登ったりしていた。
 東京に来たとき、山口では子どもたちに登られすぎていつもボロボロになっているネットフェンスが、東京ではきれいなままに保たれているのが印象的で、都会の子どもは柵を越えたりはしないのだなと思っていたし、実際僕の今住んでいる駒込の周りでも柵が越えられる場面にはほとんど出くわさないのだけど、それは柵の先にあるものが家やビルや人の領域だからそうなのであって、その中にあるものが木や池や自然だと、都会の子どもたちも平気で柵を越えていくのだなと思った。家やビルは誰かのものだが、自然は誰のものでもない。大人のつくった枠組みを乗り越えて活き活きと遊ぶ子どもたちをみていると、下関での幼少時代を懐かしく思い出すとともに、子どもたちには誰のものでもない場所がもっと必要なのだと思った。

 公園で遊びはじめてはや四、五時間たち、少し休もうとするがベンチが空いていなかった。ならばと木のくぼみに座りこむ娘、いちばん座りのいいくぼみを求めてお尻を移動させていく。そこで飲んでいた水を、娘が「こぼしちゃった、どうしよう」と悩んでいて、こぼし物の後始末を考えられるようになって成長したなぁと思いながらも「どうもしなくても自然と乾くから大丈夫だよ」と返す。すると「どうやって?」と不思議そうな顔をする。「太陽のひかりが当たって暖かくなると渇くんだよ」と答えると、どういう因果か、「どうやってたいようこわすの?」と突然の難問を投げかけられた。
 人間や地球が生まれるはるか以前よりそこにあり続けている太陽を、人間はこわすことができるだろうか。人間にとっての最大の破壊力は核爆発だが、太陽はその核爆発を利用して常にみずからを生み出し続けている。太陽にとっては核爆発による破壊すらが創造の一部なのだ。そんな善悪の彼岸から降りそそぐ光が、僕たちに代わって目の前にこぼれた水を乾かしてくれている。核の力がこんな些細な仕事に捧げられているのだと思うと、何だか不思議な気持ちがした。

 そろそろ帰ろうかと思っていたころ、公園の近所に住んでいる下西風澄くんが駆けつけてくれた。娘はしばらくは風澄くんのことを観察して様子をみていたが、だんだんと緊張がほぐれてきたのか、あちこちから枝を集めてきてプレゼントしはじめる。魚には葉っぱ、風澄くんには枝なのだろう。執筆が大詰めを迎えて忙しいようだったが、新型コロナウイルスや、ロシアとウクライナの情勢、それを取り囲む背景、歴史、言説などについて意見を交わす。冷戦の終結は、ロシアにとっては連邦の内発的かつ発展的解散の帰結だったが、西洋諸国はそれを自陣営の勝利として捉え、その後の世界を主導していった(浜由樹子)。その認識の不一致は、安全保障やイデオロギーを超えたところにある何らかの意味を、おそらくはロシアに長年突きつけてきた。僕らはロシアの傷にどう触れていくべきだろう。

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