見出し画像

屋久島に行ってきた話⑥

4日目|明朝の出会い

最終日、未明に起床して音を立てぬように荷物をまとめたら、寝静まる満室の山小屋を後にしてライトを照らしながら未だ雨が降り続く森へ戻った。

暗がりの中で写真を撮り続けていると、空が少しずつ明るくなりはじめていた。全身で雨を受け止めながら目を閉じ、耳を澄ませ、精一杯この森を浴びる。


すると、登山としては早すぎる時間であるにも関わらず、遠くに山を上がってくる白い人影が見えた。

それは僧侶だった。

笠を被り、藁草履を履き、杖を持つ凛々しい姿に目を奪われると同時に、冷静に考えればその身なりで雨の山を上がってきたという事実に驚いた。

「おはようございます」

挨拶を交わすと、その僧侶は、僕がどこを巡っていたのか、とお尋ねされた。僕はその質問に答えつつ、これが四度目の来島であることもお伝えした。

「美しいですね。この雨の森こそが、屋久島の姿です。」

穏やかな表情で僧侶は僕に語り掛ける。
目を合わせてお話をしているはずなのに、僧侶の目線はどこか遠くを見つめているように感じた。
そして、紡がれる言葉は全て僕を見通していた。

その内容について、多くを語ることはできないが、僕が何も言っていないにも関わらず、僧侶は平然と僕の次回の来島のこと、その際の未来の僕自身のことについて話し始めた。

不思議な会話を終えた後、お互いに深く頭を下げ、僧侶とは別れた。
山に向かって上がって行くその背中が凛々しく、強く印象に残っている。


その数刻の後、山手からはホラ貝が響くのが聞こえた。

下山

お昼前までに空港にたどり着いておく必要がある。
早朝とは言え、残された時間は僅かになってきた。

本筋とは異なる道を進み、いくつか沢を超えた先で、一瞬雨が激しくなった。

「五感で感じろ」

そんな言葉が頭を過る。
まだまだ先に進みたい気持ちを抑え、僕は来た道を引き返した。途端に雨は落ち着きを見せる。

…きっとそれでよかったのだ。

余裕を持って登山口まで下りてくると、そこはこれから入山していく数多くの登山客でごった返していた。

奥深くへとしまいこんでいた財布をバッグの取り出しやすい場所へ移してから、山を下りる方面の始発のバスに乗り込んだ。

まったく、経済活動は面倒で嫌いだ。

鈍化

標高が下がるにつれ、次第に雨は弱まり、集落に到着する頃には晴れ間が広がっていた。山で過ごした3日間が嘘のように、足元には木漏れ日と僕の影が落ちる。
空港までの道中で寄ることのできる温泉で汗を流し、たった10分の入浴を済ませると、予定の飛行機に間に合うギリギリのバスに再び乗り込み、チェックインを済ませた。

雲掛かる島の姿

乗り継ぎの鹿児島空港で伊丹行きを待っていると、2時間ほどの遅延が発生するアナウンスがあった。一分一秒を争うように島を出てきたのに、とんだ温度差だ。別に構わない。ゆっくり帰ろうじゃないか。

雨の中、カメラはずぶ濡れになりながらも何の問題もなく動作を続けてくれた。撮影が続行できたことが不思議なほどに、機材は酷い状態に晒されていた。

せっかくだ。飛行機を待つ間にしっかり拭き取って干してやろう。

飛行機が離陸すると、味気ないほどあっという間に大阪に帰ってくる。
この時間に対して目に映る光景の差が激しい。

傾いた夕日に照らされた人工物のジャングルに降り立つと、刺激的な情報の数々が、目から、耳から、研ぎ澄まされた感覚を鋭く刺す。
人に気付いてもらうために設計された色とりどりの広告やホームの放送、幾重にも重なる信号機。それらすべてが、否が応でも主張してくる。

ところが、無数の違和感に圧倒されながらシャトルバスの車窓を流れる無機的な景観を見つめていると、徐々に刺激に慣れはじめて、何も感じなくなっていく。

これほどにも要素が溢れているにも関わらず、
五感が鈍っていく。

雑踏に飲まれていく自分自身を感じながら、旅は終わりを迎えた。

ただひたすらに、起こった出来事と感じた思いを並べて書いただけなので、これ以上何も多くを語ることもない。

しかし、この全てが潜在的に自分が求めていた何かであったとするならば、おそらく、見たいもの見て、出会いたいものに出会ったのだろう。
何かを残したいと思い、この通り文字を綴った衝動がその証拠だ。

詳細については触れなかったが、今回の旅で撮り集めた写真の公開はまた別の形で行いたいと思っている。
見て、触れて、感じたことを伝えられる内容になることを願っている。

ここまで読んでくださった方に感謝申し上げます。
またいずれお会いしましょう。

それでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?