屋久島に行ってきた話⑤
山小屋へ
白谷雲水侠の人気スポット、かつて「もののけの森」とも呼称されていた「苔むす森」は、かの宮崎駿がその景色をスケッチした場所として有名になった。元々その場所はただの通り道だったが、今となっては初心者向けのトレッキングコースの目的地として定められている。
10年前、はじめて屋久島を訪れた時にも同じ場所に訪れ、美しい苔の景観に思わず息を吞んだものだ。
しかしどうだろう、現在の景色は昔の印象とは大きく異なるように思える。
実は数年前に、いくつかの木が倒れたことによって「苔むす森」には光が差し込むようになった。その結果、光をもって成長するサクラツツジなどの木々が大きく成長しはじめ、巨大な岩と倒木に苔がむしていた空間を覆い始めたのだ。
10年後にはただの鬱蒼とした森になっているとも言われている。
人が作り出す流行りとはかくも儚いものだ。
あの有名な景色を見たいならば今の内…と言いたいところだが、既に遅すぎるかもしれない。
だからこそ、森は生きている。
驚きの再会を果たした女性とは、夕方までの僅かな間、行動を共にした。
急いで歩く必要もなく、ただゆっくりと森を歩きながら、その景色を愛でた。
登山道を少し逸れて、すでに近くに迫っていた山小屋に一緒に向かった。コーヒーでも飲みたい気分だったが、可能な限りの荷物の節約をしてきたため、気の利いたものは何一つない。それでも15時をまわると少しずつ気温が下がってくる。会話のつまみに、せめて暖かいものをと湯を沸かす。
本当にただの湯だ。だが、それでも心を満たすには十分だった。
彼女は山には泊まらないので、暗くなる前には下りなければいけなかった。
大好きな景色を名残惜しむ彼女とは、ここで本当の別れを告げた。
雨は止まない。
テントを張るには無理があるので、山小屋のスペースをとり、レトルトの五目飯と鶏肉をあたためる。
小屋の中ではなかなかの経験者らしき男女がカレーピラフを作っていた。寝床で荷物を整理していると、良い香りが充満してくる。夕飯を済ませたはずなのに、胃袋がここぞとばかりに空きっ腹を用意しはじめる。
「ちょっと作りすぎちゃったので、よかったらどうぞ」
願ってもみないお声がけに感謝が溢れる。食事をご一緒させていただきながら、島についての話をいくらか交わした。
寝床もお隣だったので、翌日の未明に出発することと音を立ててご迷惑をおかけしてしまうかもしれない旨について予め断りを入れた。
お優しいお二人は、どうぞお気になさらず、と笑顔を返してくださった。
なおも雨は止まない。
天井を打つ水の音を感じながら目を閉じた。
⑥へつづく…
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