ローマ軍兵士たるもの豆を炊け!という話


 もう一昨年のことであるが、今も忘れられない失敗をしたことがある。あるとき『延喜主水司式』や『年中行事秘抄』に書いてあるとおりの材料と比率で室町時代の温糟粥(※1)を再現したら、「変わった味だなあ」とかそんなレベルを通り越して、クソ不味いものをつくりだしてしまった。

試作一発目であるにしても、あれは酷かった。温糟粥は別名“紅糟粥”、紅いものだと『庭訓往来』にもあるのに、大して紅くならなかったし、何より単純に不味かった。

とはいえ、これで「ハァかわいそう、昔の人はこの程度のもんを美味しいとみなして有難がっていたんですね~」という結論を出すほど愚かではない。当時の私は、どこかで史料解釈を間違えたのだなと理解して、ひとり再検討に入っていた、の、だが・・・。

翌月、私が時に包丁衆(※2)とお呼びしている、旅する食堂リコリス(@wanderinkitchen)のおかみが、私が作成し使用したのと ま っ た く 同 じ レ シ ピ をもとにつくった温糟粥は、ほっこりと滋養に満ちて芳しい、美しい紅色の粥だった。つまりレシピの問題ではなく、踏霞の腕が悪いだけ!!!!チクショー!!!!!!なんで!!!?体積ベースから重量ベースへ、ちまちま計算とかして現代用レシピを作成したのは私なのに!?いくら史料を読んだって、古代の官人や中世の典座が言外に体得していた《豆の扱いかた》なんてわかるわけないだろ!!!!!!ムギャーι(`ロ´)ノ

そう地団太を踏んでいたって仕方ないので、改めて彼女に「調理上のコツは?」と尋ねると、得られた回答は以下のようなものだった。子曰く、


 「 おかゆ千日炊くことやな! 」


・・・・。
三年間、毎日、粥を炊き続ける修業をおさめれば、豆を炊く腕はおのずと磨かれるらしい。そりゃあ古代のそういう官人であれば、必然的にそういう修業をするだろうけども。いまどき板前だってそんな修業はしない。しかし実際このおかみは、2020年代に生きながらかつてそれをやり遂げた傑物なのである。ネタや冗談ではなく、本気で言ってるんだなとわかったので、笑うしかなかった。

豆は、ただ加熱すればいいというものではない。複数種類の豆を混ぜて粥にするならば、ますます《暗黙のコツ》が必要になる。

はなから毎日豆を炊く覚悟もなく、そこのところの明文化だけを期待していたあさましい私は、この回答をうけて

「 あっこの人、現代人ちゃうわ(褒め言葉) 」

という気づきだけを得て今に至っている。なるほど考えてみたら当時らしい修業もせずに過去の時代の料理を再現できるなんて発想のほうが、不自然ですよねえ。身につまされる思いであることよ。


豆粥を、千日間、毎日毎日炊く。やれ「前任者のほうがうまかった」とか「今日のはなかなかいい」とか言われながら、毎日毎日、他の業務と並行しつつ炊く。


そういうことをした人々が、かつて大勢存在した。誇り高きローマ軍の兵士である。
彼らは、16年間軍に仕え、軍道を20マイル行進させられても耐えられるよう鍛えられ(Rosenstein, Rome at War, Introduction)、小麦・肉・豆・チーズ・オリーブオイル・酢・塩・薪の配給を受けて、毎日毎日、8人ずつの隊ごとに兵士みずから小麦を挽きパンを焼き、豆粥を炊いた(「トゥスクルム荘対談集」キケロ,岩波書店)。同書によると豆の配給量は一日あたり一人40gくらいで、ちょうど現在では“茶碗一杯ぶん”とされている粥の材料の量と同じだ。何度も言うが、豆粥は炊き方次第でかなり味が変わる。不味いやつは酷い。私自身が行軍のあと、疲れているところに自作の温糟粥を食わされたら、キレると思う。おかみの温糟粥を食べたら、また頑張ろうという気になるだろうけど。

きっと豆粥担当の兵士は隊の士気を賭けて、先輩兵士にしごかれながら、豆炊き千日修業をしていたのだと思う。


《共和政ローマ軍の糧食粥の内訳》…1日配給分(1人)

■豆(干しインゲン豆、レンズ豆、エジプト豆など)… 約40g
■オリーブオイル … 最大40g
(パンにつけるぶんも含めて約40g配給)
■塩漬け豚肉 … 最大170g、理由は同上
■塩 … 少々


はて、私ならば鍋に豚から入れて、軽く肉を焼いてから水とレンズ豆を注ぎ、沸騰したら弱火にしてサラミ出汁で豆をふやかしていくが…実際はどうしたんだろう?いや本当、ウデマエ不足でございまして、千日修業をした者にはわかる《あるべき豆の炊き方》がわからなくて困る。インゲン豆とか、いつ入れるのが正解なんでしょうね…。

一つだけ私に言えるのは、「ローマ人は、少なくとも都市ではエジプト豆をオリーブオイルで揚げて食べる」ということだ。だからここにある豆と肉は、すべてオリーブオイルで揚げられたあとに水を注がれて炊かれたのかもしれない(そうすると早く完成するし)。これから試作する人、すでに試作した人は、言葉を以てどうか私に豆炊きのコツを教えてください。


※1温糟粥
紅糟粥(うんざうがゆ)或いは紅調粥(うんでうしゅく)ともいう。室町時代、寺院で断食明けに供される粥であり、狂言「文蔵」のオチにもなっている。平安時代の頃は寒の時期に仕える官人への御料だったと考えられるが、時代がくだるにつれて洛中洛外で普及し甘味が志向された。江戸時代にはこれに餅を加えたためおしるこの祖とも考えられる。

※2包丁衆
室町時代に使われた言葉で、魚鳥の料理に優れる者のこと。精進の料理に優れる“寺衆”と対称関係にある呼称で、パフォーマンスとして魚鳥の解体をおこなう“包丁人”(公家)とはまた別。特定の流派には所属していない。言い訳するわけではないが、室町時代のむかしから各種の故実や料理流派の秘伝を学ぶ“調膳人”は、実技のうえでは“包丁衆”と“寺衆”に劣っていた。

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