2021.6.16.wed. オチのない話。
昨日の夕方は、カミナリの地響きとドドーンという音に、くるみ君もびっくりしていたが、夜中2時ごろにはものすごい雨の音に起こされて眠れなくなってしまった。それでつらつら考えていたら朝が来た。そしていま、6時半サトーさんとこには友だちが来た。
むかしは文章に詰まると絵に移り、絵が煮詰まると文章に……ということをやっていて、じぶんは両方ないと表現ができないのだと思っていた。それでいつまでも中途半端なお話と、中途半端な絵しか描けずに、どこまで行ってもぺらぺらしたじぶんだなという思いがあった。
でも、最近ちょっとわかった気がする。手が進まなくなるのは、物語の先へいくために突き詰めて考え、形にまでもっていくだけの体力(それは主に脳の筋肉といってもいいかもしれない)がなかったからではないか。そして無理にでもそれをやっていくと、少しずつ体力がついてくるのかも。
昨日読んだ内田樹の『先生はえらい』(ちくまプリマ―新書2005初版・2012初版11刷)には、そうか、なるほどなあ、ということがいっぱい書かれているのだが、その中で、日記や小説も「相手」がいる書き物だといっている。
いくらひとりで書いていたって、「読み返す」というプロセスが介在する限り、そこで「読んでいる人」は機能的には「書いている人」とは別人になるほかないのです。 『オチのない話』より
たしかに、ひとりで書いているつもりでも、「じぶん」を離れて別の「私」が話を知っていたり、私の知らないところで物語が進んでいるようなこともある。そうやって楽しんでいるところがある。これでも少しばかり脳の筋肉がついてきたのかな。
この「ちくまプリマ―新書」というのは、あの橋本治が少年少女のための新書シリーズとして企画したものらしい。大人の私にもたいへん深くて面白い。それにしても表紙がなんだかずいぶんと渋い。少年少女といいながら、昔の少年少女にも向けてくれたのかしらん。橋本さん、もっと長生きしてほしかったわ。
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