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結局、人間は【大衆】か【異端】かの2種類に分類されるという話

「世の中には2種類の人間がいる」というフレーズをよく聞く事はないだろうか。テレビドラマや小説、漫画などでいきなり役者がドヤ顔で語りだすシーンは実に多い。

元ネタは映画「続・夕日のガンマン」らしいが1960年代から愛用されているこの言い回しは、もはや現代ともなるとローランド(実業家・ホスト界の帝王)の「俺か、俺以外か。」などと、一瞬、笑いをとりにいっているのかとすら思えるような名言にさえ進化した。

対極的な2つの対象を顕わしているセリフだったりするのだが、これらのほとんどは何が言いたいかと言えばつまるところ、【大衆】【異端】かに分類される話なのではないかと思う。

【大衆】の人生を選べば、危なげない人生を送ることができる。思考や価値観が周りの人間と同じなので安心だ。大それたことをせず、常識の範囲で、平均化された人生のルートを歩む。そういう生き方をしている人間が何かトラブルに合っても対処法や対策例は五万とある。民主主義の世界はそういった常識人に寛容だ。まさに数の力だ。

【異端】の道はイバラの道だ。選べば、必ず何らかの地獄が待っている。必ずだ。特に日本のような国では村八分のような目に合いやすい。挑戦は罵倒され、失敗は非難される。共感できる仲間もほとんどおらず、挙句の果てに道徳の道を外れる者も少なくはない。サイコパスのような人間が現れ、常人には理解できない犯罪が発生する。ことさら余計に異端者は忌み嫌われるというスパイラルだ。

そのかわり、地獄を耐え忍び、突き抜けることができれば前人未踏の道を歩むことができる。
そして、今のこの私達が住んでいる世界がありえるのはその時代々を創ってきた異端者達のおかげだ。学者のガリレオアインシュタイン、作曲家のベートーベン、哲学者ルソー。過去の異人変人をあぶりだすと本当にキリがない。

では我々のホーム、投資の世界だって同じだ。
世界最大の投資家であるウォーレン・バフェットや、投機家であるジョージ・ソロスも、基本的に他人に迎合せず、むしろ他人と逆の行動をあえてしている「変人」である。中国の時代が来ると言ってシンガポールに住み着いてしまったジム・ロジャーズも変人だし、メキシコがデフォルトして株式市場が大暴落したときに全財産を賭けて株を買ったカルロス・スリムも変人だ。

総じて彼らは偉業者として祭り上げられ、【天才】という新たな枠組みの中に分類される。
なんと便利な言葉だろうか。
異端者を認めなくて済むのだから。
本当に世界は社会にとって都合のいいようにできている。

本題は、どちらの人生を歩むかという話だ。
そしてほとんどの人間は【大衆】のルートを歩む。
今の時代こそ生き方に多様性が生まれ若干の変化はあるが、本質的な大衆トレンドが変わることはないだろう。民主主義が続く限り。

大衆、異端、どちらも経験している自分としては別にどちらをすすめる気もない。何を選ぶかは人それぞれだから。

ただ二つだけ言えることがあって。

一つ目は【必ず自分で考え、自分で選べ】という事。他人の忠告で生きるならそれは他人の人生を歩むという事。そのような人生に誇りなど生まれない。

二つ目は【なるべく早く自分を知る事】が大事だということ。
人生は有限だ。早く自分を知るほどその分、幸福を堪能する残り時間が増える。

過去の私は【異端】に憧れながらも社会のレンジから抜けることが怖かった【大衆】側だった。
人と違う事が嫌で不安だった。
さらに優柔不断だったため、いかに窮屈でつまらない人生を過ごしてきたか。本当に無駄な時間を過ごしてきたと思う。

それでもビリヤード選手人生20年が基盤となって私を変えてくれた。
そして今はビリヤード選手時代より遥かに厳しい相場の世界で毎日を謳歌している。勝負の世界でしか生きられない身体になってしまった。お金を儲けたいというのはあるがそれはもはや二次的な目的で、一番はお金ではなく、お金を媒体としたトレードによる充足感が欲しいのだ。
だがとても居心地がいい。
勝っても負けても自分の好きなように自分の人生を生きているから。
いつ、ご飯が食べられなくなるかもしれないという緊張感と過酷さが自分をまた強くしてくれる。

今だからこそ強く言える。
過去の自分は翼をもがれて鳥かごの中で生きているような人生だったと。

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