『アンビシャス』胸を熱くさせる人間達の物語
私は日頃ノンフィクションを読む際には、透明フィルムの付箋を常備するようにしていて、心に留まった箇所に次々と、結構大量に貼って記憶に残していくのだけれど、本書には1つも付箋を貼ることがなかった。付箋のためにページを繰る手を止めることさえ躊躇われるほどに、本書に心を奪われたからだ。最近ちょっと涙脆くなってきたのかもしれないが、圧倒的なビジョンと熱意をもって疾走する人間達が繰り広げるドラマの連続に、幾度となく目頭を熱くさせられてしまった。なので、いつものように読後感を胸に付箋を1つずつ辿りながら、思考を文字に落としていくスタイルでレビューを書き進めていくことは、本書に関してはお手上げだ。
ノンフィクション愛好家、中でも特にスポーツをこよなく愛する者にとって、名著『嫌われた監督』の刊行以降、鈴木忠平に外れはないというのは最初から分かっていたことだが、本書も期待を裏切らない傑作だった。
過去の2作では落合博満、清原和博というプロ野球界を代表する本物のスーパースターが題材だったのに対して、本書のテーマはある意味では球界を支える黒子とも言える裏方の人間たちのドラマだ。その中心に位置するのは、前沢賢。北海道日本ハムファイターズの事業統括本部長として、札幌ドームに代わる新たなホームスタジアムとなったエスコンフィールドHOKKAIDOの建設を実現させた立役者だ。2003年に本拠地を札幌に移転して以来、サッカーJ1所属のコンサドーレ札幌と共に、野球/サッカー兼用ホームグラウンドである札幌ドームに居を構えてきたファイターズは、札幌の街に愛され、チーム自体も球界の覇者へと駆け上がっていく一方で、真の意味で自分達のビジョンを具現化できる「ホーム」を持たないことに、どこかで限界を感じていた。そうしたある種の閉塞感の中で、北海道に真のボールパークを創ることを夢見てきた前沢が、その類稀なる熱量と行動力、そして何よりも決然たる意志をもって、全てを変えていく。前沢とタッグを組んだ実務家の三谷や、前沢の思いを常に支えた元球団オーナーの大社に限らず、前沢と対峙することになった札幌市や北広島市の関係者も、球団会社、そして親会社である日本ハム本社の重役達も、更には当初はメディア側の立場でファイターズを追っていた高山のような現場の人間にも、前沢の熱は伝播していく。
本書を読み終えて、改めて思わずにはいられない。自分自身の心のどこかに「本当に成し遂げたいこと」がもしも眠っているのであれば、成し遂げるための1歩目を踏み出した方がいい。たとえそれが、様々な制約と限界の中で、無意識のうちにあえて目を向けないようにしてきたような思いだったとしても。どこに熱源があるかは、動いてみない限り、きっと分からない。
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