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そうやって、J2へ行くのです。

少し、昔話から入ります。

SC相模原を初めて見たのは、2011年の11月18日でした。

当時兵庫県民だった私は、地域リーグ決勝大会の1次ラウンドを初めて見ようと、淡路島に3日間、足を運びました。

お目当ては、奈良クラブ。そのほか、淡路島会場に集まったのは、福島ユナイテッドFC、ノルブリッツ北海道、そして、当時関東リーグ2部、Jリーグ準加盟クラブへの優遇措置で出場したSC相模原でした。

結果として、相模原は前評判どおり、この淡路島会場を3戦全勝で突破します。

ただ、そのときの感想は、前半の45分しかもたない、後半はガス欠するチーム。これじゃJFL昇格には届かない。というものでした。

サッカーの内容で言えば、奈良クラブの方がはるかに上。たしかにその奈良クラブを下してはいるものの、その試合でも、たまたま勝っただけでしょ、という以上の感想はありませんでした。

果たして、その2週間後。大阪・長居第2陸上競技場での決勝ラウンドにも、私は初日と最終日、足を運びました。

そこで見た相模原は、まさしく淡路島での印象そのまま。

4チーム中、2位までJFL昇格、3位でも昇格濃厚(結果として昇格した)。という状況で、相模原は力の差を存分に見せつけられて黒星を3つ重ね、敗れ去ったのでした。

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しかし翌2012年、相模原は地域決勝を3度目のチャレンジで突破しJFL昇格を果たすと、2013年1年間のJFL在籍を経て、2014年に新設のJ3に参加。

私は、そのタイミングでご縁あって相模原で公式記録員見習いになり、クラブがJリーグで重ねた年数と同じ、7年目になりました。


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6月27日にようやく迎えた開幕戦、リモートマッチ。

前にnoteに書いたとおり、非常に重たいものでした。

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昨年15位のチームとしては悪くはない試合。けど、強いとはお世辞にも言えない、物足りない試合。真ん中くらいかな。


果たしてその見立てのとおり、開幕から4戦で3回の0-0。

7戦を終えたところで、希望の星だと思っていた右サイドの松田が期限付き移籍を急遽終えてマリノスに復帰。(※もっとも、痛手ではありましたけど、その後マリノスでも十分戦力になっていることはとてもうれしいです。)


その後も一進一退を重ね、快勝と呼べたのは10節のホーム岐阜戦(8/15)くらいでしょうか。

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この試合、喜びに満ちた試合後のスタジアム、その中ではずんだ声でお見送りをするご当地ヒーローさんとご当地アイドルさんの姿は忘れられない。


折り返し直前の15節(9/12)、DAZNで見た2位熊本とのアウェイゲームは順位どおりの完敗。

この時点で、6勝4分5敗、勝点22、9位。得失点差-4。

次の16節(9/19)、ホームに今治を迎えての試合は、退場者を出してからの相手の混乱に乗じて追いついたものの、逆転ゴールを決めきれず引き分け。


前半戦を終えようという段階で貯金1。まあ、やってるサッカー見ても、このくらいが身の丈ちょうどでしょう。という感覚でした。

この月末に、J2ライセンス承認との報がありましたが、それでもこの頃、J2昇格という言葉が頭にあった人はどのくらいいたでしょう?

あったとしても、それは、いつかそんなことがあったらいいね、という、遠くにある夢だったんじゃないかなと思います。


ところが、ここから。

前半戦最後の17節アウェイ鳥取戦(9/22)を、初の完封勝利で飾ると、そのまま、前半戦で勝てなかった4チームに対して連勝。

そして、ラストプレーで追いついた22節讃岐戦(10/18)を挟んで、10/25の23節ホーム熊本戦。

試合前に2位長野敗れるの報が入り、勝てばついに2位と勝点で並ぶことに。

まあでも相手は熊本、難しかろうと思っていたのですが、耐えに耐えて1点を守り切って勝利。

ドリームマッチがあって大入りになったということもあって、ギオンスタジアムが一気に大盛り上がりになったのを覚えています。

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この時点で残り11試合。しかも、前半戦で勝った7つの相手との試合が全て残っていました。

これは、もしかして?


ただ、そんなに甘くはありませんでした。

この7つの相手との試合のうち、その後実際に勝てたのは2つだけ。

順位表の下半分の相手には、ことごとく引き分けました。

確信した勝利が逃げていった、25節藤枝戦(11/3)。本当に何もできなかった、27節セレッソ大阪U-23戦(11/13)。あのセレッソが最下位で終えたというのは、未だに信じられない。


いったんは2位に立ったものの、31節のアウェイ八戸戦(12/6)を引き分けて後退。

この時点で残り3試合、残る相手は優勝した秋田を含め、前半戦の成績では2分1敗。対して2位に立った長野は、同じ計算をすると3戦全勝。

個人的には、もうJ2云々よりも、とにかく来年に向けて、いい試合をしてほしい、来年1からじゃなくて5とか6くらいから出直せるようなものを残してほしい、そういう思いでした。


最後のホームゲーム、33節秋田戦(12/13)。

とてもいい試合でした、安定した守備、そしてびっくりする連携でのファインゴール。

王者相手に堂々の引き分け。しかしこれで2位は遠のきました。

ただ同時に、この1年の任務が終わった、という感覚は、いつもの年より小さなものでした。ホーム最終戦の後にアウェイゲームが残っているっていうのはいつものことなのに(ここまでJ3の7年で、例外は唯一、2018年の川口能活さんラストゲームのときだけ)。


そして12/20、外出先でろくにスマホも使えない状況だったので、試合中、最後に状況をチェックしたのは後半開始早々。その時点で2-0でリード。


15時ちょうど。

Jリーグ公式サイトでチェックした結果は、今治に1点を返されるも逃げ切り。そして、長野0-2岩手。


34試合終わったときに上2つにいられることが大事。富澤キャプテンが、J2が見えて以降、勝ったときも驕らず、引き分けのときも下を向かず、いつも言っていた言葉。

本当にそのとおり、シーズン中、限りなく近づきながらほとんど手にできなかった2位の座を、最後の最後でつかみ取りました。

2位ということは、秋田以外の16チームのどこよりも強かったということ。本当かね?という思いは消えません。実際、16勝ということは、勝てなかった試合の方が多かったわけだし、さらに言うと、2点差以上をつけた勝利は16のうち2つしかありません(逆に2点差以上をつけられた負けは4つあります)。

2回の対戦でどちらも勝てた相手も、2チームだけです。

だけど、熊本で5つ目の黒星をもらってから、その数を1つも増やすことなく、16勝13分5敗。堂々と、とは言わないまでも、振り返ってみれば、2位に値する成績でした。


後でDAZNで見ました。

正確なロングボールを上げた藤本、躊躇なく振り抜いたホムロ。自らが前の試合でもらったようなヒールパスでお膳立てした才藤、果敢に突っ込んで弾丸ライナーを突き刺した梅鉢。

2点とも、集大成にふさわしいゴールでした。


試合後の歓喜。試合に出てたメンバーもさることながら、本当は出たかったであろう選手たちの表情が印象に残りました。

会心の笑みの窪田。うわごとのように何かつぶやきながらむせび泣くユーリ。全く試合出場のできなかった三浦と原田が、そのポジションに立ち続けたビクトルと並んで笑顔。


その後で、長野の試合も見ました。

勝てばついにJ2昇格、というシチュエーションで迎えた試合。

相模原勝利の報に泣き崩れる人、茫然とする人。

阿部選手の挨拶も、悔しさが前面に出たものでした。


同情などしない。勝負ですもの。

ただ、こういう人たちがいることは、忘れちゃいけない。

私たちは、彼ら彼女らを泣かせて、J2へ行くのです。

そうやって、J2へ行くのです。


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相模原が長居に沈んだ前の年、地域決勝で3位になり、JFL入替戦に臨んだ、関西リーグの強豪・三洋電機洲本(余談ですが、相模原はそのときも地域決勝に出場し、1次ラウンド最終戦で大逆転負けを食らって敗退しています)。

結果としてこの入替戦を落として、JFL昇格は成らなかったのですが、そのときに監督さんがこう語った、といいます。

「34戦全敗でもいいから、彼らをJFLでプレーさせたかった…」


来年は、厳しい年になるでしょう。なんたって、少なくとも格では一番下。

42戦全敗だってあるかもしれない。

……まあ、それは言い過ぎにしても、22チーム中の19位でも、J3へ戻ることになります(正確には、J3の上位2チームのクラブライセンス次第ですが)。

今年のJ2で19位というと、12勝13分17敗、勝点49。

今年明暗を分けた長野と、来年の今頃は明暗入れ替わってるかもしれない。そうなったって全然不思議じゃない。


もちろんそうなってほしいとは思いません。

でも、勝負ですもの、保証はどこにもない。

だからこそ……、もし42戦全敗になったとしても、来年が、クラブにとって、貴重な財産になるように。というか、財産にしなきゃいけない。

格の違いを見せつけられて焼け野原になってJ3へ戻って、それっきり、では、何の意味も無い。

競技成績という意味だけじゃなくて。

本当に末端の末端ですが、私にも、この1年、大事にしなきゃだめだよ、と問われているように感じています。


来年も、私の任務は大して変わらないと思います。スタジアムの片隅で、裏方に徹するのみ。

ただ、そこから見る景色は、J2です。

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9年前、前半の45分しかもたなかったチームは、あと2ヶ月ちょっとで、J2の舞台に立ちます。

望んで上がった舞台です。だから、思い切り楽しんで。そして同時に、必ずや、いっときのバブルじゃなくて、再来年に、その先に、もっと強くなるための財産を残せるように。繰り返しになりますけど、競技成績という意味だけじゃなくて。


そうやって、J2へ行くのです。

身の引き締まる思いです。そして、とても、楽しみです。


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2020年、短期決戦の中で駆け抜けた、特別なシーズンでした。

任務の中でお世話になった方々をはじめ、相模原にかかわる全ての方々、対戦チームも含めご来場をいただいた全ての方々に、御礼申し上げます。ありがとうございました。

そして、相模原に限らず、この特別なシーズンの中で尽力された全ての方々に、敬意を表します。

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