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笑化する病

なんというか、私は悔しさをバネに頑張れたことがない。
ない、と言い切ってしまうのも違うかなと思いつつ、今までの自分を思い返すけれど、思いつく限りでそんな経験はない。

負の感情をエネルギーに変えられる人はすごい。本当に心の底から尊敬する。
志望校に不合格だった悔しさを糧に次の年はさらに偏差値の高い大学を受験して合格する人。
自分を振った元恋人を見返すために人相が変わるほどのダイエットに成功する人。
学生時代に「私ってうざいとか悔しいとか全部頑張る力に変えるタイプなんだよね」と言っていた友人が、私にはとてつもなくかっこよく見えた。
なにくそ、と思ってそれを力に変えられる能力は私には簡単に真似できない。

では、憧れているのになぜそうしてこなかったの?となる。
部活の試合で全く上手くいかなくて悔しかった。
初めて人に振られて虚しかった。
仕事でミスをして恥ずかしかったし情けなかった。
鏡に映った自分の容姿が嫌で憤った。
他人の人生が羨ましくてモヤモヤした。
当然だが、私にもみんなと同じように負の感情に支配されることもある。
では、私のその負の感情は一体どこに消えるのだろうか。

答えは「笑いに変えている」だった。

例えば、失敗してつらかったり悔しかったりするとしよう。
他の人たちはその感情を受け止めて、もう同じ思いをしないようにとか、これからどうしようか考えてそして行動していくのだと思う。
私はと言えばダメージを受けるには受けるが、最終的に行き着く思考はこれ。
「これ誰かに話したら笑ってくれるかな?」

失敗してつらくても面白おかしく人に話して、笑って、笑ってもらって、すっきりする。
つらかったことが笑い話になって、人が笑顔になってくれて自分も気分がよくなって、それで消化されてしまうのである。
これを勝手に造語を作り「笑化(しょうか)」と呼んでいる。

思えば今まで仕事でも勉強でも部活でも恋愛でも人生に起きる失敗や辛いことはほとんど笑い話にして消化してきた。
もちろん全てではなくて、悲しいとか辛いなんて言葉で表現できないようなしんどい経験はこの中には含まれないが、それでも本当にほとんど「笑化」した。
ここまで読んで、負の感情を笑いに変えられるなんて素敵じゃないか!なんて思ってくれた人もいるだろうと憶測はするが、それがそうでもない。

なぜなら、負の感情を生んだ経験が、振り返ると何も身になってない気がするからである。
ネタにして笑って忘れておしまい。
本当は心の何処かに苦い思い出として残らないと成長しないんだろう。
そういう意味で、私は悲しさや悔しさをバネに成長するということをほとんどやってこなかったと思う。
一般的に女性は人と話してストレスや気持ちを発散するというが、その気持ちを処理する能力の高さが災いしてるのである。

逆境や苦しい経験を通して成長していく人とそうでない人を二分したとして、後者は必ずしも打たれ弱い人だけではない。
つらい思いをして放り出したくなるのではなくて、それを笑って忘れる、ということを繰り返している人もここにいるということである。

私の話について面白いとか笑えるとたまに友人から言われて嬉しくなって一緒に笑っていたが、よく考えると本当にそれでいいのか?とも思う。
自分とみんなが笑えればいいと思ってたけど、全然よくない。
よくないとはわかっていつつも、もうずいぶん長くこんなことをしているものだから、癖というか、もはや病に近いと思ってしまう。
負の感情を自分の中で持ち続けるのが辛いので、その荷を下ろしたい、見ないようにしたいという防衛本能であるような気もする。

本当は、負の感情を笑って忘れてそのままにしないで、ちゃんとその気持ちを直視して、もっと自分の中でぐつぐつ煮込んで、苦しくても自分の中に刻みつけないといけないこともある。

経験が人に厚みや深みを与えるのは確かにそうなのだが、それは経験を通じて感じたことや思い、学びが自分の中に蓄積していくからである。
どんなにいろんな経験をしていたって、それが自分の中に残っていないのならば、結果としてそこに残るのはただ浅いままの人間である。

そう思いながらも、今日もテーブルを挟んで食事をする友人に少し身を乗り出しながら口にしてしまう。
「ねえ、聞いてよこの間ねーー…」

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