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「主の時」を待つ信仰と幸い

2016.06 北海の光 巻頭言

十字架の上でイエス様は、自分を産んでくれた母であるマリヤにむかって「婦人よ」と呼びかけられます。ガリラヤのカナの婚礼においても、イエス様は母マリヤを「婦人よ」と呼ばれています。それは、母マリヤが招かれた婚礼の席で客のために用意されたぶどう酒が尽きてしまったのを知り、イエス様の所へ近づき、ぶどう酒がなくなったことを知らせた際のことです。

イエス様は母に、「婦人よ、わたしとどんな関わりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と答えられました。ここは、読むたびに、マリヤという女性が持つ、母親としてこの上ない寂しさを感じる所です。しかし母マリヤは、イエス様がおっしゃる、「わたしの時」を待ち続けた人であることを覚えておきましょう。なぜなら母マリヤは、天使の御告げをいただいた時から、神様の働きがそのみこころの通りに行われる時を待ち続け、ベツレヘムで出産した我子が、全ての人の救い主として生きた道のり(時の連続)を、ずっと側で見守り続けた人なのです。

イエス様は十字架の上で、母マリヤに「婦人よ」と呼びかけられた時、母の側にいた愛弟子をさして、「ご覧なさい、あなたの子です」。と言われました。愛弟子に対しても、母マリヤをさして「見なさい、あなたの母です」と言われます。ご自分がこの世での人生のおわりを迎えていることをはっきりと理解し、母の身を案じて、最も愛し信頼をおく愛弟子と、これからは新しく家族になることを勧めます。


イエス様のこの言葉を、「時」の視点に立ってとらえることが大切です。母マリヤに対して、家族になることを進めた愛弟子とは、イエス様が特に愛してやまず、最後まで愛し通された弟子たちによって建てられた教会を意味しています。イエス様は、「わたしの時=神様の時」が来たこと、人が罪から解き放たれ、喜びと御恵みの中に生きる時が到来したことを告げたのです。イエス様は、愛する弟子たちと一緒に神様の時が来た事を、世界中に宣べ伝える神の家族となりなさいと母マリヤにいわれたのです。つまり、主の愛弟子と共に神の家の母、教会の母となることを促されたのです。

 そして、愛弟子に主イエスは「見なさい。あなたの母です。」と言われました。これによって母を愛弟子に託すとともに愛弟子に、神様のご支配の時代が始まる事、人々が生きているこの時と神様のご支配の時とが、今から一つに結ばれるのだと約束されました。そして、この神の恵みの時が既に始まっている事を宣べ伝える教会をたてることを促されたのです。

愛弟子はそれ以来、主の母を「自分の家に引き取った。」と記されています。自分の家とは自分のふるさと、自分の帰るべき所ですが、キリスト者にとってそれは、神の家である教会です。こうして主の十字架のもとに、新しい神の家族が生まれたのです。

全ての命の源である天の神様は、主の母マリヤの従順な「時を待つ信仰」を通して救いの恵である御子イエス・キリストをこの地上に与えられました。キリストの誕生のみならず、教会の誕生に際してもまた、これまでの全ての歩みを見ておられた聖母マリヤの存在があることを覚えたいと思います。

 十字架の下で、自分の子を失うというとてつもない悲しみを経験し、誰よりも自分自身の人生を呪ったであろう一人の女性は、絶望のその先で大きな喜びが与えられました。悲しみは喜びに、絶望は希望に変えられるというご復活を目撃した経験によって、神様の時の到来を喜んだ聖母マリヤの幸いが、私たちとともにありますように。

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