点滴と私のリーディング
通院はまずは3週に一度点滴を打つ事に決まった。栄養剤のようなものを打つだけだったが、すぐに血液内科に回され、祖母は輸血を受けるようになった。骨髄の癌だった。
付き添いの私は何時間も待っていても平気だった。祖母はグッタリして点滴していた。好きそうな女性誌を渡しても、ほとんど読まなくなった。喜ぶかな?と思うことは何でもやった。足のマッサージを一番喜んでいたのをよく覚えている。
それでも、終わるまで数時間もあるので、その間はスピリチュアルティーチャーの仕事をしていた。
毎日セッションは3人くらい。チャットがメインだったのがギリギリ助かった。病院に入っているタリーズで、引いてはリーディングして、そろそろかなぁと祖母を見に行ったりして、そんな時間が3週に一度続いた。
悲しいのは祖母の忘れっぽさが、どんどん増えていくのを家族の中で私だけが直視していた事だった。お金を払い忘れたり、同じ病院なのに部屋を覚えられなくなったり、お手洗いも心配になり始めていた。
父は京都、父の弟は江戸川区、私と祖母は横浜市だったので仕方のない事だと自分に言い聞かせていた。むしろありがたい事だとも思っていた。
随分前に亡くなって祖父が、私にくれた使命なんだ!と思い出したからだった。祖父は私のガイドだ。(守護霊)
祖母の小さな手を引いてバスに乗り少しお話しをして、何度も同じ事を教えて、介護保険の申請をして、父や叔父に連絡して…私は私のやり方で祖母の病気と戦っていた。
その中で沢山リーディングもして、この時ほどマルチタスクだった事はないなと思う。
この時は気づいていなかったが、私のハートの電池も充電がいるくらい疲れていたかもしれない。何故なら、祖母に全力の私に対して、家族全員が無関心すぎで、熱量が全然違っていたからである。
何で私だけ…という思いと、祖父のくれた使命だという思いが交差していた。
私の大丈夫は大丈夫でなかった。
祖母の大丈夫ももちろん大丈夫ではなかった。
それでも日々はすぎ、祖母は悪くなる一方に見えた。
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