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「家族といること」は不自由か?

夏休みも終盤に近づいてきた。
母親にとって、長期休みって正直しんどい。

我が家には小学生2人の子どもがいる。休みに入ると、一人で過ごせる時間は減るし、ケンカが始まるとうるさいし、テレビ、ゲーム、動画の音も聞こえるし、家事も増える。とにかく、かしましい。

もちろんちょいちょい手抜きしたり、息抜きしたりもするけれど。それでも「ああ、一人になりたい」。子育て中ならどの親もよぎる思いじゃないだろうか。


「家族でいること」「自分の自由」を考えるとき、私は高橋歩さんの言葉をよく思い出す。

オレは、結婚して、さらに自由になった。
オレは、子供が出来て、さらに自由になった。

『FREEDOM 』より


まだ子どもが0歳の時だったかな。この言葉を目にして衝撃を受けた。当時は不自由感でいっぱいだったから。そんなことがあるのかと。でも、今は少し気持ちがわかるようになった。そこに私なりの解釈が生まれた。

パートナーや子どもがいることによって、当然だが、自分の生活に何かしらの制約は出てくる。

でも「1人だからできる自由」の方だけを「自由」だと思ってたら、見えない世界もあると思うのだ。

私はいま、「家族」という絶対的味方と安全基地があるから、ありのままの自分でいいと思える。だから外で冒険できる。チャレンジしようと思える。

そんな、「家族がいるからこその精神的自由」だってあるんだと感じている。

私は家族ができたことによって「何を大切にしたいか」が定まったから。ある意味それ以外のことは、自由度高く考えられるようになった。そう考えると、自由って「自律から生まれる意識」なんだなと気づくのだ。

それは「何が自分にとって大切か」を、自分で決めて選んでいるということ。

家族といる幸せを大切にすると決めた。子ども達に自分が伝えたいことを決めた。だからそのために、自分自身も大切にするし、自分の人生も楽しむし、仕事も頑張る。やりたいこともやる。

軸足は家族にあるが、ぜんぶ自分で選んで動いているから私は「自由」。「守るべきものがあるから動けない」ではなく「守りたいものがあるから行動できる」感覚。

そして家族が幸せで元気ならその他は大した問題じゃない。「死ぬこと以外かすり傷」的にマインドに余裕が生まれ、さらに私は「自由」になった。

一人でいられたら、そりゃあ自由だ。誰に断ることも咎められることもなく、行動を選択できる。お金、時間、リソースすべてを自分に使える。しかし、たとえば勤める会社への依存心が強かったり、何かしら意思決定を他責にしていたら、結局「精神的自由」は得られない。

「自分で自分の人生の舵を握る」という表現をよく聞く。そのためには物理的自由を得ることも大切だが、それ以上に「自分の大切なものを見極め、軸を定める」ことが必要不可欠なのだ。

こんなことを書いていると、すごく「家族思いのいいお母さん」像に聞こえるかもしれないが、家族で過ごす時間が長いことや、家事を完璧にこなすことが「家族を大切にする」ことではないと付け加えておきたい。

私が元気で楽しそうに生きてることがそもそも家族の幸せにつながるので、私は私の1人時間、物理的自由もめちゃくちゃ重要視している。

そんなわけで、早く学校始まらないかなあ、とあり得ない願いを天に投げ、給食のありがたみを再確認する夏の終わりである。

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