【早起きできたら日記2】 愛犬の死と息子の涙

昨日の朝、実家で飼っていた犬が亡くなった。奇しくもこの日記を始めた日。私がまさにPCに向かっている間に息を引き取ったかもしれない。勝手にだが何かの因果を感じている。私が大学生の頃に我が家に来た犬だった。享年17歳。人間にすれば100歳のおじいちゃんだ。大きな病気もなく、天寿を全うした。名前はムックという。

子供たち、特に今小学生の息子の方は帰省のたびに「ムックちゃんに会える」と言い、可愛がっていた。年に2回くらいしか会わなくても。翌日には葬儀だと聞いたので、亡骸ではあるが最後に顔を見たくて実家とビデオ通話をした。ムックはいつものふわふわの毛布をかけて、横たわっていた。生きていて、眠っている様子とはやはり少し違ったが、可愛かった。「もう起きれないんだね。かわいそうに。寂しいね。」などと、父と声をかけあっていたら、息子はいつの間にか私の膝に顔を伏せていた。号泣だった。息子にとっては、初めて直面した親しいものの「死」だったのだろう。もう一匹、先に亡くなった犬(ポポロ)もいたが、その時はまだリアルに感じれなかったのかもしれない。私は息子を思いっきり抱きしめた。私も涙が込み上げたが、息子が私の分まで泣いてくれている気がした。

ありがとう、と電話を切り、少し落ち着いたら、息子はそれまで読んでいた電子書籍にまた向かい合った。もう眠い幼稚園児の娘は、早く絵本を読んでくれと私にせがんだ。そしていざ絵本を読もうと開いたとき、「ママ、ムックちゃんの話しないで欲しかった!」と少し文句っぽく言われた。彼女もまた、処理できない気持ちが胸にあったのだろう。表現の仕方はこんな調子だが…。子供たちが愛しい。その確かな愛しさに感謝した。そしてまた今日も1日を始められることが、うれしい。ムック、ありがとう。

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