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コミュニティ参加者の多様性

コミュニティ参加のハードル

「参加が怖い」

それは、あるIT業界のユーザーコミュニティについての知人の言葉だった。業界においてまず最初に思い出される「第一想起」のコミュニティであり、後進の運営者からは常に「盛り上がっている」「真似したい」と「お手本」のように語られる存在である。自身も2010年の組成当時に受付や案内スタッフなどで参画し支部の設立・運営活動も行ったが、当初から「盛り上がり」は群を抜いていた。そして何より、運営・登壇者のコミュニティへの「コミットメント」が深かった。登壇内容のレベルが高く、話術にも長けている。つまりわかりやすく言えば、初心者から見れば強くて、

怖い人

ばかりだったのである。それは今も変わらない”遺伝子”のようなものとして受け継がれている。登壇者は自社の壮大なチャレンジと成功談を語り、懇親会では積極的に名刺交換会が始まる。一方、

陰キャな人にはハードルが高い

ものであるのは今でも変わらない。「自分はそこに飛び込んで大丈夫だろうか」「マウントを取られるのではないか」「自分はエンジニアではないので誰も話す相手が居ない」など、怖くて仕方ないだ。本来、コミュニティとは包容性・包摂性を持っておりどんな人でも受け入れるべき場である。しかし、そのコミュニティの主体者たちがあまりに「強い人」「怖い人」であった場合に「そうではない」と自認している参加者の心理的なハードルが高くなる。

外からは判断できない内面

昨今よく叫ばれる「多様性」の観点で、留意したいのが外見や感情の表出の有無だけでは判断できない「陰キャ」の存在である。

彼・彼女らは「ROM専」だったりする
彼・彼女らは「陽キャ」に見えたりする


そう、ポジティブ感情を表出したり、誰とでも仲良くなれたり、そのコミュニティで深い「コミットメント」という「行動」を表さずとも、彼・彼女らはじゅうぶんに楽しむことができるのである。

運営・主宰者はその人たちの受動的な行動様式を、責めることはできない。例えば、飲食店において「やたら絡んでくる接客」「その店や料理への愛を強制する」などあまりに近い距離感は客の不快感を生む場合がある。

企業にとって、ロイヤルカスタマー(売上貢献が高く、企業やブランドに信頼を寄せている顧客)が大切である観点から、以前の考察で企業による「客の選別」「招かれざる客」について語った。一方そのコミュニティへの、

参加スタイルを強制すること

は多様性の観点から望ましいことではない。確かに、ロイヤルカスタマーは大切である。しかし、成熟市場においては「招かれざる」とまでは言えないものの、「忠誠度は低いが売上貢献してくれる客」は新規顧客獲得の観点から重要になる。つまり、そのコミュニティへの

参加スタイルの多様性

を認めることが必要なのである。飲食店でいえば店員が満面の笑顔で接客し、たとえ反応が無表情であっても

心の底から喜んでいる

かもしれない。ひとは全員「陽キャ」でなければいけない、という法律はない。日本国憲法第19条にいわゆる「思想信条の自由」がある。

第十九条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

そう、憲法にもしっかりと明文化されているのだ。コミュニティにおいて、

全員が陽キャでなければならない

という法律はないのである。

まとめ

今までさんざん「人の内面は侵してはならない」「無反応・無行動でも責めることはできない」と主張してきたが、コミュニティを(その参加スタイルは問わずとも)「盛り上げる」ことが至上命題である立場からそれに反することを言う必要がある。

人の内面を侵してはならないが
人に影響を与えることはできる
人の行動を起こすことはできる
人を笑顔にすることはできる

と。コミュニティは、いかに関わる人の「行動変容」を起こすかにかかっている。人の心を動かしコミュニティを活性化することほど、やりがいのあることはない。明日もまた、誰かの心を動かすことができますように。

#コミュニティデザイナー
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