記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「サイダーのように言葉が湧き上がる」を語る

前置き

 劇場版オリジナル長編アニメーション作品『サイダーのように言葉が湧き上がる』という映画について語る。
 本作は上映館も少な目であまりご存じでない方も多いと思う。かくいう私もEテレの放送が無ければこの作品に触れることはなかっただろう。この映画を知ったきっかけとして、元々私自身「Never Young Beach」が好きで、たまたま主題歌「サイダーのように言葉が湧き上がる」をYoutubeで聴いて映画があるんだと調べたことだった。それが2023年の夏に放送されると分かって、「まぁネバヤンの歌の映画かぁ」程度の認識で録画はしておいたのだった。本腰置いてみたのは半年先なのだが、いざ観るとすっかりハマってしまった。純粋な紹介からネタバレ込みまでいろいろ順を追って書いていこう。


あらすじ 概要

17回目の夏、君と会う⸺。
人とのコミュニケーションが苦手な俳句少年と、コンプレックスを隠すマスク少女。
何の変哲もない郊外のショッピングモールを舞台に出逢ったふたりが、
言葉と音楽で距離を縮めていく、ボーイ・ミーツ・ガールStory。
その主人公であるチェリー役には、初映画、初声優、初主演となる
歌舞伎界の超新星・八代目 市川染五郎を起用!
一方、ヒロインのスマイル役は、若手随一の確かな表現力で高い評価を受ける杉咲花が担当。
フレッシュな競演が「ひと夏のできごと」を輝かせる!

http://cider-kotoba.jp/#intro

https://twitter.com/CiderKotoba

 原作無しのオリジナル作品でストーリーは監督・脚本・演出のイシグロキョウヘイ、脚本の佐藤大。



 予告編 1分版よりこの予告の方が個人的には好き

この時点で興味を持てたという猛者は是非ともこのまま観ていただきたい。

以下本題





好きなところを語る(ネタバレ無し)

・じれったい恋愛


 2020年代の高校生らしい距離感がヒロインー主人公間にあって、ストーリーとしては王道ラブコメ的ではありながらもある種独特な空気が素晴らしい。私も一応は20年代の高校生であったので、観ていてその雰囲気や言い回し等が良くも悪くも「現代っぽ過ぎる」と感じて少々気持ち悪さも覚えたが、フィクションの中で思春期の男女が初対面から顔見知りに対してするお互い配慮しあっている気まずさをここまで丁寧に描いているアニメーションは他に私は知らない。
 変に距離が縮まったり、ご都合感が前面に出ていないためラブコメをあまり観ない方にこそ観てほしいところである。加えて純度の高い恋愛なのでただキュンキュンしたいだけの方にも勧められると思う。



・完結した閉じた空間の物語

 本作は郊外都市のショッピングモールとその周辺で物語が完結している。
17歳、高校生の夏休み、バイト、いつもの場所で友達と過ごすだけ。大した出来事もない毎日をこの変わらない町で過ごす、そんな日々に起こった誰にでも起こり得たであろう一つの恋愛。登場キャラクターも基本的に冒頭のアクションシーンで出てきた人+子供たちの家族くらいで全く普通の高校生たち、観ている私たちとほとんど変わりない環境での物語である。



・ひたすら、夏。

 「サイダーのように言葉が湧き上がる」その題名の通り「夏」なんです。
永井博、鈴木英人などに影響された背景美術。いかにもという感じがして「しつこい」という方も見受けられたが、私はアニメだし田舎が舞台だしこのぐらい派手でも全然良かったと思っている。もはや街灯の光も多角形で覆うという潔さ。また、音楽もひたすらに夏を感じる。ネバヤンのエンディングテーマ、挿入歌、劇半然りで一貫して流れている夏の空気がこの映画全体の空気を決定づけていると考える。


以下ネタバレ有(一応)








好きなシーンについて語る

・ショッピングモールとフジヤマ


 所々に散りばめられている「ありそう」感が全編に根底してあり、それが自然に「サイこと」の世界を作り上げている。主な舞台であるショッピングモールが元レコードのプレス工場という設定がいかにもな感じがする上、その中のデイサービス、スマイルが通う歯医者、冒頭の催し、全部ありそう。
 フジヤマという人物設定もまた良い。プレス工場勤めから、個人レコード屋の店主という人生。今ではボケてしまって耳も遠くなって、妻の面影も記憶から薄れてしまっている、何て悲哀に満ちたキャラクターだろう。年齢的な事を考えてもまだピンピンしている人もいる歳だと思うが、それでもこんな老人なのだと決然と打ち出している。
 設定的に70年代に青春時代を迎えた1950年代生まれの世代は「藤山さくら」の歌をあてた大貫妙子を初め、レコード屋の場面で少しジャケ写が映る山下達郎、かぐや姫、はっぴいえんど…挙げればキリがないが伝説的扱いをされているフロンティアを生きたミュージシャン達、今では一周回ってシティポップと一部人気が再燃していて今でも精力的に活動して入るが、その世代の人の中にははもうデイサービス通いで、耄碌ぎみだったり記憶も曖昧になったりする唯のいち高齢者なのだ。
 あの時代の音楽に対する深い造詣と敬意を持ちつつ、70年代文化の良さが今でも息づいている事ではなく、あくまでも「過去のモノ」なのだと、ショッピングモールとフジヤマを通し時代性を打ち出しているのではないだろうか。

・割れるレコード
 スマイルが割れたレコードを自室で修復するシーンについて語る。

まず割った場面から。そりゃ歪んだレコードなんて初めてみたら治したくなるし、「んっ」ってやる気持ちも凄く理解できる。その完全な善意からの失敗という若さ故の行為と少し浮かれていたという感情の落差。アニメ的な逆っぽい泣き顔もまた徹底して可愛くスマイルを描いている。そして、日が変わりデイサービスにてチェリー母の登場と引っ越しを知る。チェリーがコードを取りに行った所で呼び戻されたから言えなかったのか、彼女がレコードを割ったことでその後言えなかったのか、彼も言うタイミングが以前からあった言い渋ったからなのか。些細な一言のため起こる小さなすれ違い。スマイルも後入りにせよ、自分だけ知らされなかった事は不愉快だし勇気を出してやっとデートに誘えたのに返事は最早意味を成さない。ふたりは割れる。

 頑張ってつけるシーン。
アロンアルファで何とか形だけでも戻して返したいという思いがとても高校生らしくて彼女の素直さが良く表れている。一回付けてみるもすぐには戻らない、欠片が取れてしまう。再び付けようとするも、また取れてしまう。

 「割れたレコード」がくっつかないのだ。

一刻も早く、元通りにはならなくてもフジヤマさんに返して謝りたいのだが直らない焦り。そして、チェリーは明日には行ってしまうんだ。
戻れない、ふたりは直らない。一片一片が付けようとしては剥がれ落ち、思わず溢れ出てしまう涙と慰める姉妹たちの愛情がまた尊いのだ。

愛すべきラストシーン

 約七分半に渡る大貫妙子の独壇場。アニメーション史上屈指の名シーンのひとつに加えても良いくらいだと考えているのだが他の方はどうなのだろうか。前半は歌入り、後半カラオケで二回繰り返しで流れる「YAMAZAKURA」
 この映画最大の山場で、冒頭のフジヤマが持っている場面から80分間引っ張ってきた「藤山さくらの曲」がついに流れる。ジャパン君のレコードをかける所作もとても丁寧。単にアームをヒョイと置く所謂な動作なのではなく、しっかり位置をセットしてレバーで針をおろす正しい方法が描かれていて細かい。流れ始めるYAMAZAKURAのイントロ、ギターの音、そして歌い出し。

YAMAZAKURA

「思い出して ただ夢中に 生きてたあの頃を」

あれぇ?!本物過ぎやしないかこれは!!
上げ続けたハードルを軽々越えてくるのだよな、これが本物の力。
フジヤマのレコード屋でSunflower、For youを映してるけどまさか本人登場だったのは最早笑うしかないし、初見時に何も知らないでこの歌声を聴いた時は本当にこれはオリジナル曲なのか!?どこかから隠れた名盤から引用しているのではないのか?いやいやキャラクターの歌だからオリジナル曲のはずだ。Dr.林立夫ではないか、そこもホンモノ出すなよオイ。

 曲はもう大勝利。「思い出して」と同時にフジヤマのじいちゃんの涙と過去回想。二人の幸せだったあの時間とジャケット写真の真実、プレス工場からイオンに変わるその時間経過。屋上でのキスシーン、主人公カップルが
「隠したその歯、ぼくはすき」チェリーの句であり、若かりし頃の二人の句でもあるのだ。
 そして現代の二人へバトンタッチ。田舎の郊外都市の夜を丁度よく綺麗に、かつリアルな家々の間隔を両立させていて普通の住宅街でもやりようはあるものだと感じた。スマイルの配信に気づき、ダメ押しに俳句を一文字ずつ読み上げる。そして少年は車の後部座席から飛び出し彼女の元へと走る、それだけでいいのである。モールの屋上へと駆け上る場面で歌は間奏(Cメロ)になる。探すチェリー、待つスマイル。そこでフジヤマが一句「感情や」序盤に引用された摂津幸彦がここに生きてくる。今までオリジナルの句、もといチェリーの句により物語が進行していた後半パートだが最後に鍵となるのがこの実際の俳人の句であるのもまた一興。
 ここから畳みかけるように音楽と同期する。舞台へ上がり、マイクを雑にもらうチェリー、やっと彼が年相応というか若々しい動きを見せる事も最後への加速と前振り。モール吟行でも見せた赤面をしながら、一足先にコンプレックスを乗り越え音頭台からお祭りの人混みの何処かにいるであろうスマイルに向けて彼は彼女と出会ってから詠んだ俳句を全て声に出すのだ。花火の暗転と共にCメロに。ラスサビ突入と同時に溜めに溜めてついに「山桜の句」で告白する。この場面で彼の赤面、恥じらいがもう完全になくなる。
サビの最後のフレーズ「わーたしといきーてーる」のメロディに入ると同時に叫ぶ「きみがすきーーーー!!!」と特大の花火。


 チェリーの詠い終わりと曲の歌い終わりのメロディの一致、分割画面も終わって告白された彼女の返事へと移る。ギターによる7小節間の後奏のあいだワンカット台詞無し、マスクを乱暴に外してカメラ目線でユキちゃんの笑顔、満面のスマイルで幕を閉じる。



総括

 この「サイダーのように言葉が湧き上がる」は世間一般としてはかなりマイナーな部類に入るはずだ。この記事を何かの拍子で閲覧した方がもし本編を見る気になった時に是非ともなるべく少ない情報でこの90分を堪能していただきたい。そんな気遣いを僅かばかり入れた前半のあらすじ紹介と映画の魅力部分に対してひたすら言いたいことを乱雑に書き散らかした後半。この記事を書き始めた時はフジヤマと時代性の関係は思いついていなかったのだが書いているうちに形になり少しは批評もどきの要素もありつつ主張も出来たと思う。繰り返しになるがこの映画のラスト7分半はもっと大々的に評価されても良いはずだと私は言い続ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?