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「となりのトトロ」がコワい。

前置き

 ご存じ「となりのトトロ」、特別前置きをする必要もない作品。
私は宮崎駿作品を小学校低学年~高学年にかけて視聴し、案の定ハマって影響受けまくりなのだ。だが、この映画だけは「もう一度観たい」「進んで観よう」とは思えない。変な都市伝説紛いの話や真面目な考察が多く、この様な記事を私はあまり見たことがない。なのでその理由を物語に沿って語る。

1.「弟、妹」「兄、姉」

 「さんぽ」が終わって、オート三輪が走る場面。荷台に乗る姉妹は仲良くキャラメルを分け合って、初めての土地へ期待を膨らませている。後部座席で流れる車窓を眺める子供の頃の私たちと全く同じだ。

 そして、新居に到着した後のふたり。広い庭に大きなお家、それはこの年齢の子供にとってはもう完璧で究極の遊び場なのだ。この場面は妹(年下)であることのもどかしさに溢れている。家をふたりで駆け回る中で、どんなに頑張ってもメイちゃんはサツキよりも先に面白い物を見つけることが出来ないし、階段を探すときも同じ場所追っかけるだけじゃつまらない。その気持ちが弟妹に無謀なことをさせ、映画の終盤へと繋がる。

 どんな時も兄姉は下の子の無謀を止める、弟妹はその保護者の様な態度が不快で長きに渡り枷となるのだ。だが彼女らには新しい家と、とてつもなく広い自然を前にはそんなことはどうでも良い、というか私も4歳の頃はそうだったと思う。

2.最大の恐怖

 後半パートがとにかく観ることが辛い。病院から電報以降が問題である。
 サツキとカンタが電話のある家まで走って行くのに付いていく場面。「メイは家に居なさい!」なんて言われて大人しく出来るような人間じゃない。むしろ突き放され、仲間外れになることが嫌なのだ。その行為に私たち弟妹という生き物はとてつもない寂しさを覚える。

 一瞬、見失いかけたときの心細さ。全速力で走っても追いつけないのは分かる、でも曲がるところは見えたから何とか道は大丈夫だろうと進んでいく。追いついたところで自分にだけなかなか事を聞かされず、電報も絶対に見せてくれないし、お姉ちゃんはピリピリしていく。

 そのあと、走っていくサツキを追いかける場面。ちょっと引き返そうと思うけど、今帰ったらみじめになってカンタのおばあちゃんと待つだけ。また置いてけぼりはイヤだ。自分の無力さに悔しくなるだけ。しかし、進んでいくうちに心細くなる。まだ引き返せる、けどイヤ。

 お姉ちゃんの一言と込み上げる涙。そしたらもうダメだよ。少し落ち着いて病院に行こうとする。迷ってヤギに逢ったりしたけど、最後はお姉ちゃんに会えたから病院までも一人で大丈夫。(いやいや大丈夫じゃないんだけど)ひとりぼっちの道、少し不安だけどちょっと引き返せば手前のところだから…あれ、どこだ?あっちへ行けどこっちへ行けど、さっきの道にたどり着かない。それどころがどんどん知らない道に迷い込んでいく。でも進んでいくしかない。 この「サツキの焦り~メイちゃんの迷子」の一連の流れが私にとってこの映画の怖い場面である。

3.トトロとわたし

 私自身、ふたり兄弟の次男だ。幼少期にこのように迷子で日が沈むまで家族に会えない、とまではいかないがそんな様なことがあったと思う。実際に迷子になりかけたのか、記憶が曖昧なだけでそう思い込んでいるだけなのかはわからない。

 自分が一番小さい存在である家庭において、年齢を理由に置いてけぼりになるあの感じと、兄姉に張る意地、知らない道で引き返すに引き返せなくなった時の心細さは間違いなくあのころの気持ちで、それを引きずり出されるような「トトロ」が怖いと私は感じているのだ。

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