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子どもの声は「生活騒音」か

私たちの子育て生活を取材しているジャーナリストが、近所のマンションの張り紙を写メで送ってくれました。


《生活騒音について》と題した文章でした。

《「日中お子様が室内を走ってるような音や遊んでいる音がする」等の連絡が寄せられました》として、《居住者様の生活リズムが異なることもございます》《お心当たりのある方は、ご注意のほどよろしくお願いします》と呼びかけられていました。


子供は泣く。騒ぐ。飛び跳ねる。大声で笑う。そんな子供の声は「騒音」だそう。「ご注意」…具体的に何をしたらいいのだろう。これを見た親たちは何を思うでしょう。


実は、わが家にも「騒音」が問題として突きつけられる日がやってきました。おとといの夜、自宅の戸を開けると70代の男性が仁王立ちしていました。


目を吊り上げて、「うちにも孫がたまに来るけど、こんなにうるさくないよ。どうにかしてくれ」と。一階下の住人が、双子の足音の対処を願い出てきたのでした。


新型コロナウイルスの感染拡大で、全国の保育園では臨時休園の通達が出ていました。私の住む地域は、4月上旬に自宅保育の協力要請が来て、下旬には利用希望書を出さないと預けられない形に。それ以来、わが家は自宅で子どもと過ごしていたのでした。

朝8時半から18時まで保育園に預けていた日常はどこかへ行ってしまいました。

部屋の中で子供が走り回れば、外に連れ出し散歩に出かけ、意味もなく買い物に出かけたり、テレビをつけてトイストーリーと魔女の宅急便を繰り返し見たり(なぜか一緒に見ようと誘ってくる)。普段はしないような生活を5月31日までの約1ヶ月半、続けていました。

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(テンションが上がる午後は近所の公園で遊ばせる/ 著者撮影)

臨時休園が解け、日常が戻り始めた矢先の事件でした。

怒る男性。謝る私。「これ以上の手立てがないとすれば、引っ越すしかないですかね」と尋ねると、「それは…どうにかしてくれ」と同じ答えの繰り返しでした。
毎日の工夫を伝えていると、男性は耳を傾け始めました。「え…保育園に行ってるのか」と、新しい気づきがあったようでした。みるみるうちに男性の表情がやわらいでいくのが見て取れました。


「旦那さんがそんな精力的にやってるなんてな。申し訳ない」と頭を下げてくれました。「妻には『言ってもどうしようもならない』と止められたんだけど。つい頭に血が上って、カッとなってしまって」。


コロナの影響がまさかこんな形で自分のもとに訪れるとは思いませんでした。


全国でも同じような事例が出ているようです。張り紙の写真を送ってくれたジャーナリストは、「生活のリズムが違うならば、話し合いをしてお互いが納得する解決方法を探れば良いのに、一方に我慢を強いる。日本社会を象徴している」とコメントをくれました。

友人の一人は「いよいよ来たね」と言いました。子供がちょうど2歳ぐらいになると、マンションの一階に住み出す子育て世代が多いという話でした。引越し費用がかかるけど、空気を読んで、まわりに気を遣って、移り住んでいる人たちが大勢いるのでしょう。


空気を読むよりも直接関係を築こうとする習性を持つ私は、出産後に何度か手土産を持ってその部屋を訪れていました。しかし、世間話すらできていませんでした。3月末には「こういうのは困るからもういいよ」とも言われてました。戸主が集まるマンション自治会に出てくるのも、毎回その男性ではなく、同居する妻の方でした。


男性が立ち去り部屋に戻ると、妻が「いつまた怒鳴り込んで来るかわからない」とつぶやき、不安感を募らせていました。すぐに1日分の荷物をまとめ、行き先も決めずに双子と妻ともに車に乗りこみました。


子は宝、子供が輝ける豊かな地域を作ろう、子供が伸びやかに育つ国をつくろう、など全国の都市農村どこでも美辞麗句が飛び交っています。

ゆたかさって何だろう。

コロナによる生活の変化で、大人も子供もストレスが溜まっているようです。その行き場のないストレスを子供に押し付ける社会にはなって欲しくない。

「子供が輝ける地域」が豊さの象徴であるならば、子供を育てる家庭の生活音を「生活“騒”音」として排除するのではなく、むしろ積極的に取り入れるぐらいのの地域、街、世の中になってほしいと願っています。

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