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背中に意識をおく

背中に意識をおくように日々訓練しています。
これは、背後から攻撃された時に備えるためです(半分マジ)。

人は見えている方、普段使い慣れている方、上半身など(以下、便宜上「陽」と表現します)ですぐ物事を攻略しようとする癖があります。見えていない方(背中とかね)、使い慣れていない方(利き手じゃない方とかね)、下半身は使わず、サボろうとします。ので、これらを使うためには意識的な練習が欠かせません。

では、なぜ、これら(以下、便宜上「陰」と表現します)を使う必要があるのか。それは小さな差異を感じ取るためです。自分の外部から届くメッセージを「聴く」ためといってもいいかもしれません。

「陽」で対応する時、人は力を使って、力づくで物事を処理しようとします。自分が力を使うとき、相手(や外部)の力はねじ伏せてしまうので、その力を「聴く」、感じ取ることはできません。相手の力を「聴く」ためには、少なくとも相手の力以下に自分の力を抑えなくてはいけません。

ここまでの理路がイメージしづらい方はこう表現するとわかりやすいかもしれません。しゃべっていたら人の話は聴けませんよね?しゃべる=力づくで対処とイメージしていただければ、力づくをやめなければ「聴け」ないことがお分かりいただけるかと思います。

力づくで対応することをやめて、外部のメッセージを「聴く」。そうすると外部と無用にぶつからずに済むようになり、(そうしたければ)相手を制することもできるようになっていく(らしいです)。相手の行きたい方向にちょっと加速してあげて投げるとか、下半身の力で相手に悟られずに全身の力を使って制していくとか。そんな感じ。

これは武術的なコミュニケーションだけの話ではなくて、日常のコミュニケーションやビジネスなどでも通じる話です。力づくはうまくいかないことが多いですし、疲れます。「聴く」ことに意識を持つようにすることで力づくをやめていく方が楽です。

また、自分の身体の扱い方に関しても同じです。自分の身体は外部の一つです。ですので、自分の身体からのメッセージを「聴く」ためには、かなり微細なメッセージもキャッチできるように訓練する必要があります。例えば、心臓の鼓動を「聴こう」としてみてください。意識が研ぎ澄まされていくのがわかるかと思います。

背中を意識するなど「陰」を意識して生活していくと、身体の各部位が自然に自律的に動いていることに対する驚嘆というか、尊敬の念のようなものが湧いてきます。鼓動をやめない心臓、とまることのない呼吸、腕や脚の自然なポジショニングなどなど、どれも不思議で驚くばかりです。私たちの意識で動かしているものなど本当にごく一部の領域でしかないのです

そう考えていくと「この身体は私のモノではない」ということが深く得心されていきます。与えられているものであるという感覚になっていきます。自分の道具のように好き勝手に扱っていいものではないということがわかってきます。自分の身体に敬意をもって丁寧に扱うようになるのです

先ほど、自分の身体も外部であると書きました。したがって、外部のメッセージを丁寧に「聴く」ことは同じく外部であるところの他者も丁寧に応接するということに繋がっていきます。

自分に敬意を持って大切に扱うことが、他者に敬意を持って大切に応接することの基礎というのは、だから本当なのです。

あと、背中に意識がいっている人の後ろ姿って格好いいんですよね。それだけでも背中に意識をおく習慣を持つメリットはあります。

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