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しあわせならいい

”しあわせ”について考えていたけど、精神的な健康になれないことなんだなと身をもって知った。  

今まで”しあわせ”とはなんなんだとかあんまり考えてこなかった。周りばかり見て、あの子ん家はまた海外旅行に行ったよ。とか、またゲーム買ってもらっているよ。とか…子供の時はそんなことをされている子が羨ましくそれが”しあわせ”なんだろうと思っていた。

就職をして、お金を手にした。お金を手にしたけど自分の時間(可処分時間っていうのか…)が少なくなっていった。一般的な会社員(サラリーマン)になると、お金と時間の関係は対になっているものだとそこから学んだ。

就職したては、結構がむしゃらに仕事をしてみて理不尽にも耐えてきた。ストレスの対価がお金なのか。世知辛い世の中だなーと漠然と考えるようになっていった。職場の飲み会でも知らぬまに自分も周りに染まり、誰かの愚痴を言うようになってしまった。過酷な仕事を任されても、やりたくないな。とか余計なことを考えられるようになった。

その頃には、結婚して子供ができ、マイホームも手にした時だったから、 早く帰りたい、子供の顔を見たいなと強く思っていたがそんなに甘くはなかった。

しかし、この頃は過去の自分がうっすら描いた"しあわせ"な状況には到達していた。何不自由のない生活をして、家族に恵まれて、住むところもある。 一体何が足りないのか。

贅沢な悩みなのかも知れないが。

コロナや戦争によって”普通の日”が失われた。                          日常が非日常となり、我々は非日常を日常として暮らしはじめた。

自分目線で行くと他人との比較で苦しむ。                              

いろいろと探ってみて、”しあわせ”の感度を上げることに集中した方がいいということにやっと気がついた。

幸せ = 結果(現在の状況) ー 期待値

なんかの本を読んだ時に書いてあった公式が今でも頭に残っている。

ヒトはどうやら、自分のことになるとわからなくなるらしい。                                  他人にはアドバイスできるのに、自分というものがどういうものか知っていそうで知らないらしい。他者目線で生きる癖をつけること大切なのかもしれない。そして、未来のことを予測することがとても下手くそらしい。10秒先のことも、10分先に何が起こるかもわからない。 

というわけで自分のことを色々と紙に書き出してみたが、どうやら他人から見るとしあわせに暮らしている存在らしい。

自分というものは今、ここにいて、今を過ごしているだけ。              それ以上でもそれ以下でもなく。                                   地に足をつけて、余計な心配をすることなく今ここにいるという感覚を感じることが簡単そうで結構難しい。少しずつ訓練して感じられるようになれるといい。

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