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ドラマ『最高の教師』の鵜久森さんに自分を重ねてしまった話

最近、『最高の教師』というドラマにハマっていました。
そのドラマがきっかけで一晩気持ちが不安定になってしまい、それがなぜだったのかを自分なりに言葉にしておこうと思って書いています。

(ネタバレを含みながら書きます)

この作品は、松岡茉優さんと芦田愛菜さんという安心感がすごいふたりが主演の学園ドラマ。愛菜さん演じる鵜久森さんへのいじめをはじめ、クラスの中のトラブルを対話ベースで変革していくストーリーでした。

第一話で、教員をしている松岡茉優さん演じる九条先生が、卒業式の日に生徒の誰かから突き落とされてしまい、死ぬ直前で、なぜか1年前の始業式にタイムスリップし、やり直しの機会を得ます。
はじめは生徒に「寄り添う」と媚びるようなスタンスを取ることで、それを回避しようとしますが、鵜久森さんからの「寄り添うだけで 大人が私たちの世界を変えられると 本当に思ってるのなら 私は心底軽蔑します」の一言などがきっかけとなり、自分が変わり、アクションを起こすことで生徒を、クラスを変えていくことを決意し、変えていっていました。
1周目の人生で自死をしてしまう鵜久森さんの未来を変えることもでき、プライベートでのパートナーとの関係性も改善されていきました。
(開発教育に関わるようになって、自分が主体的にアクションを起こすことで、環境に変化が出てくることは、とてもポジティブに映っていました。)

第一話で救った鵜久森さんをはじめ、生徒たちも変化が見えてきていました。ただ、最初のいじめの中心にいたグループは、まだ変化が見えていない状態でした。

物語の中盤で、実は鵜久森さんも自死した日から始業式の日にタイムスリップしており、2周目の3年生生活を過ごしていたことが判明しました。
1周目では叶わなかった充実した高校生活を過ごし、「なりたかった自分になれているか」を自問自答しながら、懸命に過ごしていました。

第6話で、鵜久森さんのことを「好きかもしれない」と想いを伝えてくれた東風谷さんという人が今回のメインで、その気持ちに葛藤しながらも、鵜久森さんに伝えたり、九条先生に相談したり、一度は怖くて離れてしまった鵜久森さんから答えを聞こうと勇気を出しまくり、ふたりからもとても誠実であたたかい言葉を受け取るというとてもすてきな回でした。
1周目の人生でも鵜久森さんは想いを伝えられていたようで、それに対して「大切だ」と自信を持って伝えたいというのも、思い残していたことだったようです。
自分が高校・学生時代に見ていたら、さぞかし勇気と安心をもらえる話だっただろうなぁ…と浸っていました。

しかし、その話の日が鵜久森さんの1周目の命日である日だったようで、鵜久森さんがその次の日も生きている実感がないという理由で、九条先生に遺言のような動画を残します。
そのまま終盤に、自死は免れた鵜久森さんが、別の誰かに呼び出され、転落死してしまいました。

ショックが大きすぎて、心を落ち着けるためにSNSで感想を追っていたのですが、悲しんでいる人がいる一方で、誰が犯人なのか展開がおもしろくなってきたと言っていたり、この人なんじゃないか!?と考察をしている人がその晩の時点でたくさん見えました。そこから心臓のバクバクや頭の中がうるさくなっていき、一晩ほとんど眠れなくなってしまいました。

翌日は寝不足すぎて遊ぶスケジュールをキャンセルし、家でゆっくり過ごしながらいろいろ考えを巡らせていました。
自分が鵜久森さんに重ねて恐怖を感じてしまったんだろうなぁというのが今の結論です。

自分の尊厳が踏み躙られている日常から一度は逃げ(それができるのもえらい)、その先の不安から自死を選んでしまったけれど、そこから偶然次のチャンスを得て、自分でその未来を変えようと奮闘していました。幸運にも同じような境遇の九条先生の存在も大きかったと思います。そこは共有しなくとも、そっと連携しながらクラスを変えていってふたりとも大健闘でした。
しかし、誰かを攻撃したわけでもなく、活躍したことが気に食わないとなぜか理不尽な考えを持った悪意のある人に1周目では尊厳を奪われて、2周目でも周りの人も大切にしながら、高校生活を過ごしていただけなのに、死が訪れてしまいました。

自分自身も、自分なりに精一杯生きてきています。しかし、人権について学ぶと、この社会では理不尽な力によって誰かが権利や尊厳を奪われていることを知りました。その誰かは自分のこともあれば、誰かのこともあります。私も他の人も、それを知っても知らずでも、無意識に加担してしまっていることも知りました。
そんな状況を少しでもみんなで解決していきたいと、発信したり学んだり居場所づくりをしたりしてきているつもりです。

しかし、故意でもそうでなくても傷つけられる言葉を受けたり、そもそも耳を傾けてすらもらえず困りごとが変わらなかったり、悪意なのか誤解なのか活動自体が風評被害にあったりしています。
マジョリティですら生きやすいとは言いづらいこの社会で、その攻撃の矛先がマイノリティとされる事件もたくさん見えるようになってきました。
そんな中で、自分が活動というものに取り組むことで、もしかしたら悪意を持った人に攻撃されてしまうのではないかという恐怖を抱くようにもなってきました。
やめるということを考えることもありますが、アクションをやめれば状況はこのまま変わっていかないということにももどかしさを感じ、ひとまず怖がりながらですが、自分なりに継続していくという道を選んでいます。
現状の生きづらさを受け入れ続けることは、他の人にもそれを強要してしまうことにもなります。でも、やっぱり攻撃されるのは怖いし、理不尽な悪意によって死にたくありません。。鵜久森さんが動画の中で死にたくないと涙する姿に共感しすぎていました。。(別のドラマの『エルピス』のシーンで、長澤まさみさんが「なんで殺されないといけないのよ。何にも無茶なこと望んでない。当たり前の人間の普通の願いが、どうしてこうまでも奪われ続けないといけないのよ!こんな気持ちを押しつぶされながら、どうやって生きていけばいいんだよ!どうやって希望を持てばいいんだよ!」と叫んでいたシーンと同じくらいの共感度でした。。)

ドラマの中で、なぜそのような事件をこのタイミングで起こしたのかは分かりません。この後に事件がきっかけとなり、みんなが変化していくためかもしれません。
しかし、きっかけになったとしても鵜久森さんは亡くなってしまったのです。犯人が誰なのかで盛り上がってはいますが、自分自身も、サスペンス系のドラマでは誰が犯人なのかを楽しんでいましたが、それは暴力的なのかもしれないと感じました。

私がもし現実の世界で、誰かに攻撃され傷つけられたり、命を落としたりしたとしたら、世間には犯人探しのネタにされてしまったり、まぁマイノリティだしと勝手に納得されてしまったり、しんどくなる人を増やしてしまったりするんだろうなぁ、、とその後もしんどくなる未来しか見えなかったのも、不安定の要因だったように思います。

どうして鵜久森さんが1周目に命を落とさねばならなかったのか。どうしたらそれが最初から防げたのか。そういうことをフィクションの作品から考えるくせが私たちはあまりにも少ないように感じます。「犯人探し」ではなく「どうしていったらいいのか」を考える風潮を少しずつでもつくっていけたらいいなぁと思い始めています。
学校のいじめも、職場の搾取も、社会の差別も、フィクションではなく私たちが生きているこの日常の中にあります。ドラマのキャラクターだけでなく、同じ世界の中に、生きづらさを感じたり苦しんでいる人がいます。それは一部のいじめっこや悪者だけがつくっているものではなく、私たち一人ひとりが関係しています。。
フィクションの世界も、そこで起きている出来事も、できるだけ自分ごとにしながら、考えていくことを大切にしていこうと思います。

鵜久森さんは、「苦しくても死なないで。生きて。」というメッセージを残していたけれど、苦しんでいる人に生き抜いていく強さを求めるのではなく、悪意を持って加害している人も、自覚的でも無自覚的でもそれに加担している人も、その苦しさをみんなで取っていく、生まないようにしていく努力を、自分にも周りにも求めていきたいです。

そんな目の前にあるさまざまな課題に向き合うためには?一緒に考えてくれる人を増やすには?見えてきた課題に対してできることって?そんな『問い』を持ちながら、できることをやっていきたいと思います。

しいたけ占いのしいたけさんにも、"いい変化"をしていっているという言葉をもらえたので、信じて、できる限り長く楽しく幸せに生きていきたいと思います…!

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