新しい座右の銘『死なない限りはかすり傷。死んだら死んだで次がある』
死ぬかと思った体験が一昨晩にあった。
深夜、睡眠中に左の肩から左胸にかけて、生れて始めて体感した激痛が走り目覚めた。あまりの激痛のため、声も出せない。背中を丸めると少し痛みが和らぐので、その体勢で様子を見ようと我慢してたら、気を失った。
しかし、夢の中でも、全く同じ激痛があった。普段、あまり夢をみないのだが、この時は、何故か、自分が手負いのライオンになっていて、行方が分からなくなった子どもを必死で探していた。家族は、子どもを探すよりも、先ず、少しでも自分の手当てをするべきだというアドバイスをした。しかし、それを無視して、死を覚悟しつつ、全く恐れずに必死で探している夢だった。
朝になり、再び激痛で目覚めた。そして、起き上がろうとしたら、激痛が走り、自力では全く起き上がれない。
深夜の激痛。夢の中の激痛。そして、今の激痛。
激痛で混乱しつつも、生きている事は確認できた。
そして、なんとか、助けてもらいベッドから起き上がり、近くのクリニックに駆け込んだ。医師は、心房細動とそれによる高血圧が見られる。カテーテル検査と入院の可能性があると、専門の大病院の紹介状を書いてくた。そして、今日、必ず連絡し、症状があれば、救急車を呼んで行くようにと指示された。
5年以上前の話だが、当時のメンターから「死なない限りはかすり傷」という言葉を学び、結構気に入っていた事を思い出した。
さらに、20年位前だが、脱サラ起業して、ナポレオンヒル等の成功哲学を学んでいた頃、共に学ぶ友人から飯田史彦氏の事を知り、「生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える」(PHP出版)をはじめとする「生きがいシリーズ」にはまっていた事も思い出した。
じつは、スポーツと心理学が好きで、ティモシー・ガルウェイの「インナーゴルフ」「インナーテニス」を読んでいたことも手伝い、ゴルフが上手くなりたいと思っていた私は、ふと立ち寄ったカリフォルニアのニューエイジ系のお店で、Dick Sutphen氏のGolfのMind Programmingを知り、単なる興味本位でレンタルビデオを借りた。そして、そのビデオを見始めて数分後、日常的な意識状態以外の意識状態、いわゆる変性意識状態(altered state of consciousness, ASC)を体験した。(参照 ウィキペディア 変性意識状態)
それは、自分の身体から1メートル程、上に自分の意識があり、自分の身体と周りを見下ろしていく感覚で、非常に澄み切った静寂で宇宙と繋がって幽体離脱している感覚。後に、Dick Sutphen氏のPast Life Regression(前世療法)を含む幅広いスピリチュアル系コンテンツと瞑想を学ぶ冒険の始まりとなった。(機会があれば、その話も共有していきたい。)
閑話休題。
タイトルの座右の銘の話に戻そう。
① 「痛みの先に、恐ろしい死があるという。」人間の認知脳が陥りやすいある種の想像、思い込みを変性意識状態での体験も踏まえて、共有して見直(再創造ReCreation)し、次世代に相応しい新しい価値観を作りたい。
② 死を覚悟して(必死で)何かに取り組むことは、ある意味、誰にでも可能だが、死にたくない想いは自然。言い換えると、頑張れないように自然にブレーキがかかるようになっていて、バンジージャンプの様に安全で死なない事は分かっていても、一歩が踏み出せない。自分も含め、多くの人が陥りやすいこの状況で、『先ず行動』という意味を込めて、『死なない限りはかすり傷。』
③ “生まれ変わりの科学”は、飯田史彦氏の著作だけに留まらず、Netflixのドキュメンタリー等でも証明されてきている。仏教では、輪廻転生の教えもある。もし、生まれ変われるのなら、コンピュータゲームで、死んだり(負けたり)しても、次があるので、気にならずに楽しめる様に、今回の人生(ゲーム)も思い切り楽しもう。という意味を込めて、『死んだら死んだで次がある。』
この3つの想いを1つの座右の銘にまとめて
『死なない限りはかすり傷。死んだら死んだで次がある』とした。
(追伸)
今日は、紹介状に書かれた大病院に行き、一日、検査等で疲れた。即、入院の可能性を考え、パジャマまで準備していたが、緊急にカテーテル検査と手術の必要性はないとの判断で家に帰ってきた。
じつは、これまで、変性意識状態から、色々なメッセージを貰い、メモが溜まってきている。また、それをヒントに色々と考えたメモもある。
今回、死にそうになった体験は、
「今、自分が死んだら、このメモは、日の目を見ずに、埋もれてしまう。」という気づきを与えてくれた。
今後、これらのメモを含め、アイデアをNote上に発表していきたい。
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