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行方不明の幼馴染の話 第八話

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小学三年生の夏休み、僕たちは内緒で悠の家に招かれた。
「今ならお母さんもお父さんもおばあちゃんもいないから、しょう君とみそらちゃん、うちに来てみない?」
「悠の家? 翔、行ってみようよ」
 美天が僕を「翔」と呼ぶので、悠も僕をしょう君と呼ぶ。美天は誘われて初めは乗り気だった。
 悠は、手足が細くて体も小さい子供だった。だから、一人っ子の僕と美天にとっては、小さく守ってあげたい妹みたいに思ってた。
 そんな悠が、自分から何かを持ちかけるなんてめったにない。美天は張り切っていて、初めは行く気満々だったのを覚えている。
 でも、付いて行った場所にあったのは、近所でも有名な、町外れにある『お化け屋敷』だった。

 外からでもわかるほど広い大きな和風の家。門は木造で大きく閉ざされていて、表面が毛羽立ってすごく古そうに見えた。うっそうと茂った木が左右から門の上まで伸びていて、生垣もぼさぼさとしていた。家の奥までは全く見通せない。
 僕と美天はびびって立ちすくんでしまった。
「――ここ?」
 恐る恐る美天が声を出す。
 悠は明らかに腰が引けた僕たちを見て、ちょっと寂しそうな顔になった。
「ごめんね、やっぱりやめようか」
 それを聞いた美天と僕は、顔を見合わせてどちらともなく頷いた。ここは気合いを入れるしかない。何といっても悠を悲しませることはしたくないから。
「大丈夫、行くよ」
 そう言うと、悠は安心したように笑った。
「こっち」
 木でできた門の脇にある小さな戸を開けた悠は、先に中に入って手招きした。
 震えてしまいそうな僕と美天は、手を繋いで励まし合い、先導する悠の後ろに付いていった。

 門の中は、背の高さ以上に茂った雑草とぼさぼさの植木が視線を遮っていて、人が住んでいるとは思えない。お化け屋敷と言われても仕方ないほど荒れ放題だ。ムッとするほどの緑の濃い匂いと蒸し暑さ。顔に飛んでくる小さい虫を手で払いながら進む。
 先導する悠が通るところは、狭いながらも道らしきものができていた。よく見ると、地面も大きい石が埋まっていて、前から通路だったみたいだ。そこを、悠、僕、美天の順番で歩く。
 左右が草だらけで奥まで見えないけれど、広い庭を壁に沿って門から右手側に進んでいることはわかった。
 ガサガサ音を立てながら、僕たち二人はおっかなびっくり歩く。どこかで大きめの鳥が飛び立った音がして、美天が小さく悲鳴をあげた。
「大丈夫?」
 振り向いて小刻みに頷いた美天を確認したその隙に、すぐ前を歩いている悠の姿が見えなくなった。

「あれ? 悠、どこ?」
 声を張り上げるのも怖くて、恐る恐るささやく。
「こっちだよ。木の下の方にトンネルがあるよ」
 すると、その少し先の茂みの中から悠の声が聞こえた。
(木の下の方にトンネルって何だ?)そう思ってしゃがんでみると、植木が重なっている部分の下に、わずかな空間ができていて、天然のトンネルのようになっていた。
 ここをくぐっていくらしい。
 手を繋いでいる美天と目が合った。
「……美天、大丈夫? 行ける?」
「大丈夫。翔について行くから先に行って」
 僕は手を放して、まるでトトロの庭に繋がるようなトンネルを、しゃがんで進んだ。
 下の地面は少しくぼんでいて通りやすくなっている。トンネルは一本道でゆるく曲がっていた。後ろを振り返ると、美天も付いて来ている。
 道なりに進むと曲がった先が出口だ。意外と短いみたい。

 そう思ってトンネルを抜けると、かなり拓けた中庭に出た。門を入ってすぐみたいに草だらけじゃない、石がタイルのように敷き詰められている道と、両側が土と大きめの木が数本、左の生垣の向こうに家の壁がみえていた。樹木の先、奥の木陰に石でできた小さな家のようなもの。
 それが「祠」だと、当時はわからなかった。
 でも「それ」が目に入った瞬間、首の後ろがざあっと逆立ち、立ちすくむ。
――僕は、あの石が、怖い。
 石の祠から目を離せないでいると、悠が声をかけてきた。
「しょう君、どうしたの?」
 僕はとっさにぎゅっと目をつぶって下を向く。心臓がドキドキと鳴っているのがわかった。――ものすごく怖い。でも、何て言おう?

 その間に、美天がトンネルから這い出してきた。
「……翔、どうしたの?」
 不安そうな美天を安心させるために、無理やり笑う。
「ううん、なんでもない」
 極力石の祠がある方を見ないようにして、悠に訊く。
「……ここはちょっと広場みたいになってるね」
「うん。ここは大事な場所だから」
「大事な場所?」
 にっこり笑って、悠は祠の方を指さした。
「あれがね、うちの神様。『ほおりさま』って言うの」
「「ホオリサマ?」」
 僕と美天の声が重なった。
「そう。神様がいる場所だから、きれいにしないといけないの。ここのお掃除や、おいのりをするのが私の役目」
 とても誇らしげに話す悠だけど、僕は冷や汗が止まらなくて、だんだんと気分が悪くなってきた。

 すると、ふいに美天が僕の手をぎゅっと握ってきた。振り向くと美天の目が恐怖に見開いて、奥の祠を凝視してる。
「……あれ、何?」
 僕はとっさに祠を見てしまった。
――辺りは夏の日差しが降り注いでいて、祠の脇にある樹木がくっきりとした影を落としている。その祠の後ろに、闇が凝っているのがはっきり見えた。
 周囲には蝉の声が聞こえていたはずなのに、音が途絶えていた。音が消えて、耳が圧迫されたように痛くなる。水の中みたいに。

 すると、静かに悠が声を発した。
「――あれはかみさまのおわすやしろ。
さんかくいーしはかみさまが、おりおりた。おりおりた。
かみさんやーまのふもとにあーる、
ほーおりかわからやまのぼり、やまのぼり、
さんかくやーしろにほおーりさまを、
おーあげしておまつりしーて、
わたしたちはほーおりとなって、かみさまと、かみさまと……」
 何が起こったのかわからなかった。
 悠の顔から急に表情が消え、節を付けて何かの唄のようなものを唄い始めたと思ったら、唐突に止まった。
 僕と美天は暑さと混乱と恐怖で、呆然と悠を見ていた。
 すると、悠の後ろにある祠から、くっきりとした闇の塊みたいなものが、樹々の暗がりを伝って、まるでアメーバのような、蛇のような動きで染み出して、こちらに向かっているのが見えた。
「……!!」
 僕と美天は声も出せずに手を繋いで、恐怖に立ち竦んで身動きが取れなくなっていた。その時。

――シャンシャンシャンシャン……
――シャンシャンシャンシャン……
 屋敷の奥の方から、たくさんの鈴の音が聞こえた。
「!」
 それまで別人みたいになっていた悠が、鈴の音で目覚ましが鳴ったみたいに目が覚めた顔になる。
「――しょう君! みそらちゃん! 誰か帰ってきた!」
 大慌てで、どこか怯えたような表情になり、僕たちの腕をつかむと来た道とは反対の、家の壁が見える奥に向かって走り出す。
 僕は悠に腕を掴まれながら、横目でちらっと祠の方を見てみたけれど、もう黒い靄みたいなものは消えていた。
「こっち!」
 小さい体の、どこにそんな力があるのかと思うくらい、悠は強引に手を引いて進む。家の壁と古い木の塀の間は、人がようやく通れるくらいの狭さだ。そこを抜けた先に、木でできた小さな扉があった。
「ここを出て、ほそい道を歩けば、おおきい道に出られるから」
 僕たちを扉の向こうに押し出し、急いで扉を閉めようとする悠の手を思わず止めた。
「……悠は、大丈夫?」
 僕はそれしか言えなかった。
 悠は少し寂しそうににっこり笑って、またね、と言い、扉を閉めた。
 
 それから僕たちは、混乱しながらも小走りに塀の脇の小道を進んだ。見つかることがまずい、ということだけわかっていた。
 道を進んだ先に出たのは隣の町の住宅街で、ほとんど来たことはなかった場所だった。それでも何とか自宅まで帰り着けた。
 家の前まで来て、僕と美天はどちらからともなく、このことは内緒にしようと約束した。
 夕方というにはまだ早い時間だったけれど、美天は疲れとショックでぼんやりした顔だったし、僕も似たようなものだっただろう。そのまま家に帰ることにする。
 玄関のドアを開け、廊下に上がるところに腰を下ろして、そこからすとん、と記憶がない。
――それから三日間、僕と美天は高熱を出して寝込んでしまった。

 夢うつつで、おばあちゃんだけじゃなく、お母さんとお父さんが近くにいた気配がした。忙しいのにごめんなさい、と思った。何度かおでこを触る冷たい手が、気持ちよかったのを覚えている。
 でも、意識が浮上していない間は、ずっと何かに追われているような夢を見ていた。何か、黒い靄のような、冷たい気配が近づいたり遠のいたりしていた。
 意識がはっきりして、起き上がれるまでになった時には、丸二日経っていた。目覚めると部屋にはお父さんがいて、熱中症で倒れてた、と教えてくれた。すぐにおばあちゃんが見つけてくれてよかったよ、と。
「斜め前の出水さんも、美天ちゃんが倒れたって。二人で遊びすぎたみたいだね」
「……美天も、熱を出してたの?」
「そうだよ。二人とも公園でずっと遊んでたのかい?」
 僕は美天と別れる時にした約束をぼんやりと思い出しながら、頷いた。

 目が覚めたその日は、まだ体がだるくてほとんど寝て過ごした。
 でも、倒れてから四日目にはすっかり元気が戻っていた。美天も元気になったと聞いたけれど、まだ会うまでは許してもらえなかった。家で宿題や読書をして過ごし、内心じりじりとしていた。
 僕は、熱を出した美天だけでなく、悠のこともずっと気になっていた。最後は変な別れ方だったし、あの恐ろしい体験も悠の家も、そして悠が家族に対して、少し怯えるふうだったことも、誰にも話せないまま時間だけが過ぎていった。
 外で遊んでいいと許可が出たのは、僕と美天が倒れてから一週間くらい経っていたと思う。

――その日は、朝からとても暑くて晴れていて、でも天気予報では『午後から大気の状態が不安定です』って言っていた。夕立ちか、雷が発生するかもしれないから、空が暗くなったら帰ってきなさいね、病み上がりなんだから無理しないこと、とおばあちゃんに言われた。

――結果的に、僕はその約束を破ることになる。
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<第九話へ続く>

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